中国共産党軍のプロパガンダ壁絵が小学生の歴史教科書にドーンっとのているのを見て、おかしいと思わない非常識が教育界や文科省を覆っていた話を昨日書きました。
こういう教育はおかしいだろ?と立ち上がったのですが、大多数の日本人は正しいと考えていたらしいのです。
ぼくたちは圧倒的少数派だったので、いつも「これでホントにいいのか?」「コモンセンスはホントに俺たちにあるのか?」と迷いながら始めることになりました。確信・自信には遠かったと思います。
ぼくはどちらかといえば子供のころから間違えるのが得意でしたから、まあ、始めはあんまり自信はなかったのですね。でも周りには藤岡先生始め自信のある先生方がいましたので、とにかく自分の「常識」に立って勉強していこうという感じでした。「こんな歴史教科書を、このまま教えたら子供たちにいいことはない」という直観でした。
歴史学者という人たちが大学にいて、この人たちは
「日本は朝鮮半島を植民地にして搾取した」
「日本は大陸から東南アジアまで侵略戦争をした」
「日本は中国大陸で大虐殺をした」
「日本は戦争犯罪をやりまくった」
という学問をやっていました。いまも大筋では変わらないかもしれません。
伊藤隆さんなどのほんの一部の学者が?マークをつけるくらいで、反論するのは渡辺昇一さんや岡崎久彦さんなどのアマチュアが中心でした。学者が権威であり権力を持っていることは現在も変わりません。
国民の多数、教育界の多数は、学者の言うことが真実だと考えていました。今も変わらないと思います。
ぼくたちはそれを「東京裁判史観」だといいました。最近流行の「自虐史観」という言葉は当時はまだありませんでした。戦後すぐに行われてぼくが生まれる直前に判決が出た東京裁判。戦争の勝者が検察官と裁判官の両方をやった「勝者の裁き」の検察側主張および判決そのまんまが、その学者たちの主張と重なりました。戦争の勝者が自分たちを正当化するための歴史の見方が。そのまま日本の歴史学者の説になっていました。
しかも。1970年代から80年代にかけて、学者たちはこんどは中国共産党の言うことを学問に取り込み始めました。南京大虐殺は最初は「10万人の中国市民を虐殺した」でした。それがやがて20万人に増え、次には30万人に増えていきました。すると日本の学者もそれにあわせて学説の数字を増やしていきました。
要するに、学問とはいっているが、その本質は戦後の支配者たちの政治宣伝じゃないのかな?
プロパガンダ。
これが日本の近現代史歴史学の正体に見えてきました。
こうしてさすがのぼくも確信が深まっていきました。
ただですね。
歴史学と言うのは過去との果てしのない対話の連続です。
だから、その対話はこれからも続き、学説も変容していくと思います。これからも「歴史の真実」はたびたび書き換えられていくことでしょう。
だから、いつも自分が間違うかもしれないぞと用心していることが大事だと思います。「自分は正しく相手は間違い」と決めつけて、過去との対話をやめてしまえば、それは歴史ではなくなってしまうと思うからです。
横道にそれましたがぼくは歴史が好きなのでここは肝に銘じています。
ということで、やっと今日言いたかったことにたどりつきました。
ぼくが歴史授業を変えなければ!と考えたのは、「歴史の真実」とは直接の関係がありません。
ぼくたちがそれを始めた一番の理由は、
「10歳から15歳くらいまでの子供にこんな絵を見せて祖国の歴史を教えてはいけない」「おかしいだろう!」
という常識なのです。
それが教師としての確信でした。
彼らの
「平和教育のためには真実を教えなければならない」
「過去の日本の悪を教えなければならない」
「日本軍の残虐を教えなければならない」
「過去の日本を嫌いにすることが未来の平和な日本をつくる」
「そのためには子供泣き出すような怖い体験(あの絵を見せること)をさせることが必要だ」
「そのためにはフェイク資料を使ってもかまわない」
という考え方は、教育の狂気であると考えざるを得ませんでした。
成長期の子供には祖国の歴史を肯定的・共感的に教えなければならない。
そうでなければ、子供たちの健全な自我形成は不可能である。
たとえ彼らの歴史学が真実だったとしても、同じようには教えない。
子供達が祖国を好きになり、誇りに思えるように教えたい。
これがまともな教師の常識だと考えています。
これがわからない人はまともな教師にはなれないと思います。
それは子供の心を壊す人ではないでしょうか。
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