◆最後に「大東亜会議の授業」をやりました。この教材は教科書にも学習指導要領にもないので、一般にはなかなか授業実践は難しいかもしれません。
◆30年前歴史の授業をゼロからつくり始めていたころ、深田祐介『大東亜会議の真実―アジアの解放と独立をめざして』(PHP新書)に出会いました。この本で大東亜戦争には第二の戦争目標があったことを知りました。それが「大東亜戦争」という戦争名が消されてしまった理由でした。そのため大東亜会議のことも大東亜共同宣言のことも日本人のほとんどはいまも知りません。
◆教師は、授業で文科省検定済みの教科書を「使う」ことが義務ですが、教科書に書かれていないことをいっさい教えてはいけないという禁止はありません。
一番大事なのは「国を愛する心情を育てる・国民としての自覚を育てる」という社会科の目標を授業で追求し、教室で達成することです。教科書は教える内容の標準を示したものであり、最終的に何をどう教えるかは一人一人の教師に任されています。繰り返しますが、最も重要なのは目標を達成することです。
◆太平洋戦争(大東亜戦争)の全体像を知るためには、「大東亜会議」は子供たちにとって欠かせない授業になりました。
大東亜戦争の授業
・2014年8月インドのモディ首相が来日、忙し日程の中で三角佐一郎さん(99歳)に会いに行った。「ネタジ(インド独立の父=チャン・ドラボース)のことを覚えている男に会いたい!」
・チャンドラボースとインパール作戦=インド初のインド独立戦争のことを知る。三角さんはボースの戦友だった。
・日本軍は約1年で東南アジアの支配者(米・英・蘭)たちに勝利し、彼らをアジアから追い出し、ほとんどの植民地は解放され、戦時中なので日本の軍政がしかれた。強かった日本軍。
・1943年11月、東京で大東亜会議が開かれた。

・大東亜共同宣言を読み空欄の言葉を考える。
①世界各国が、民族ごとに自分たちの土地をもち、お互いに助けあって、ともに国家として発展し、みんなで明るく楽しみをともにするためには、まず世界( A )の確立がその基本です。
②東アジア諸国は、相互に自主( B )を尊重し、互いに助け合い、東アジア諸国の親睦を確立します。
③東アジア諸国は、世界各国との交流を深め、( C )をなくし、互いによく文化を交流し、進んで資源を解放して、世界の発展に貢献します。
・A「平和」 B「独立」 C「人種差別」が入ることがわかる。

・インドネシアの軍政を進めた今村均中将の政策を知る。

・今村中将の政治は必ずしも日本軍全体の方針ではなかった。
「戦争は続くのですから、勝利をめざして現地人にも協力を求めなければなりません。また、日本は最終的に戦争に負けますから、戦争の終盤になると、人々の生活は厳しくなり、日本に対する反発も生まれました」
・日本の戦争が次のことを教えた。「民族の 独立と自由は、戦わなければ 実現しない」。
・インド、インドネシア、ミャンマー、ベトナムなど、植民地支配に苦しんできたアジア諸国は、大東亜戦争後に、独立と自由のために武器を取って戦い(独立戦争)、その結果、東南アジア諸国は独立を勝ち取りました。

・独立後のアジアの指導者たちの言葉を読む。
「日本のおかげで アジア諸国はすべて独立した。日本というお母さんは難産して体をこわしたが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジアの国々が、西洋と対等につきあえるのは、いったい誰のおかげであるか。それは、身を殺して行動してくださった母さん、日本があったからである。」元 タイ国首相:ククリックド・プラモード
「我々アジアの有色人種は、西洋に対して何度も 独立戦争を試みたが、全部失敗した。しかし、日本軍が 我々の目の前で 西洋諸国を徹底的に打ちのめしてくれた。我々は初めて弱い白人を見て、自信をもち、アジアの独立は近いと知った。日本が戦争に負けた時、我々は、今度こそ自力で独立を勝ち取ると誓った。」インドネシアの元情報大臣: ブン・トモ
・大東亜戦争の二つ目の戦争目的を知る 「アジア植民地の解放」
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