中学生歴史教材「英米本位の平和主義を排す」(1918)



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【現代語訳(中学生向け)】
英米本位の平和主義を排す
作者:近衛文麿
大正七年・1918年

 戦後の世界では、「民主主義」や「人道主義(人を大切にする考え方)」が強力になっていくことは、もはや否定できない事実です。日本も世界の一員である以上、この流れから逃れることはできません。

 民主主義も人道主義も、その土台にあるのは「人は平等だ」という考え方です。国内でいえば「国民の自由と権利」、国際的には「どの国の国民も平等に生きる権利がある」という主張につながります。ここでいう「平等」とは、個性や国ごとの特徴をなくすことではありません。むしろ、それぞれが持つ力をちゃんと発揮できるように、特権や独占のような不公平な仕組みをなくして、平等なチャンスを作るという意味です。

 この「平等」の考え方は、人間の道徳の根本にある普遍的な原則です。古くから世界中で大切にされてきた考えでもあります。これを聞いて、日本の国のあり方に反すると考える人もいますが、日本の伝統はそんなに狭いものではないと信じます。民主主義や人道主義の流れを正しい方向に導き、発展させることは、日本にとっても良いことであり、私たちもそれを望んでいます。

 しかし残念なのは、日本では、英米(イギリスとアメリカ)の言うことをそのまま信用しすぎる人が多いことです。もちろん、ウィルソンやロイド=ジョージのように、真剣に人道を大切にした政治家もいます。しかし、善意の人でも、自分で気づかないまま不正をしてしまうことはあります。ましてや、他の多くの政治家や評論家、新聞記者などの言うことには、注意が必要です。

 劇作家バーナード・ショーは、ある作品でナポレオンに「イギリス人の精神」を批判させています。その内容は、「イギリス人は自分の欲望を正当化するために、道徳や宗教を利用するのが上手い。自分の野心に立派な名をつけて発表し、最後までやり通す。自由や独立をうたう一方で、植民地を広げ半分の世界を支配している」というものです。少し言いすぎにも見えますが、イギリスの植民地の歴史を見れば、半分は当たっていると言えるでしょう。

 最近の日本の世論では、英米の政治家の美しい言葉に魅了され、その裏にある利己的な面を見抜けないまま、国際連盟を無批判に称賛する人が多いのは、とても情けないことだと思います。私たちは、日本人としての立場を忘れてはいけません。

 「日本人として考えるべき」というのは、「日本さえよければ他の国はどうでもいい」という意味ではありません。そんな利己主義は、人道に反する古い考えであり、戦後の新しい世界では通用しません。私が言いたいのは、「日本人の正当な生きる権利をしっかり守り、不当な圧力がある時は、はっきりと戦う覚悟が必要だ」ということです。

 英米の論者は「平和こそ人道だ」と言いますが、彼らのいう平和は「自分たちに都合の良い現状維持」であり、それに人道という名をつけているだけです。彼らは「今度の戦争は、専制主義のドイツと、民主主義・人道主義の戦いだ」と主張します。たしかにドイツが戦争を始めた主な原因だったことや、戦争中のドイツの残虐な行為には怒りを感じます。しかし、「平和を乱した=人道の敵」という論理には賛成できません。

 というのも、戦前のヨーロッパが「人道的で正義にかなう最高の状態だった」と決めつける必要があるからです。しかしその状態は本当に正しいものだったでしょうか。

 私の考えでは、今回の戦争は、「すでに強い国」と「まだ発展途中の国」の争いでした。イギリスやフランスは、すでに多くの植民地を独占し、他の新しい国々には発展する余地がほとんど残っていませんでした。これは国々の平等な生存権を妨げる、不公平な状態でした。ドイツがそれを変えようとしたこと自体は、正当な要求と言えます。ただし、そのやり方が武力中心で乱暴だったため、非難を受けたのです。

 つまり、英米の「平和主義」は、現状維持を願う国の自己中心的な主張にすぎないのに、日本ではそれが正しいと信じこまれ、国際連盟を無条件に歓迎する風潮があります。これは日本の立場から見ても、正義や人道から見ても、非常に情けないことです。

 もちろん私は、国際連盟そのものに反対しているわけではありません。もし本当に正義と人道に基づく組織であれば、全力で賛成します。しかし、実際には、経済的な力で小国を支配し、後進国を永遠に立ち遅れさせる危険性があります。そうなれば国際連盟で最も得をするのは英米だけで、日本や他の国々は損をするばかりかもしれません。

 日本が平和会議で必ず主張すべきことは2つあります。
1つ目は「経済的帝国主義の排除」、
2つ目は「有色人種(黄色人種)に対する差別の撤廃」です。

 武力による支配だけが人道を害するわけではありません。戦後の世界で、金や資源を独占し、他国の発展を妨げる「経済的帝国主義」が広まる可能性があります。これも人道に反します。

 また、アメリカやオーストラリア、カナダなどは、白人には門戸を開きながら、日本人をはじめとした有色人種を差別しています。仕事につけない、土地を借りられない、ホテルに泊まるにも白人の保証が必要な場合がある、というのは人道的に見て大きな問題です。日本は平和会議で、このような差別を正すよう強く求めるべきです。

 これから開かれる平和会議は、人類が本当に正義と人道に基づいて世界を作り直せるかどうかが試される大きな場です。日本は、英米中心の平和主義に流されず、本物の正義と人道に基づいて主張を貫くべきです。そうすれば、日本は人類の歴史に「正義の勇士」として名を残すことができるでしょう。(大正7年11月6日)

【要約(中学生向け)】

戦後の世界では「民主主義」や「人道主義」が大切になる。しかし日本はイギリスやアメリカの主張をそのまま信じすぎている。英米が言う「平和」や「人道」は、実は自分たちに都合の良い「現状維持」であり、完全に正しいとは限らない。

当時の世界では、イギリス・フランスなどが土地や資源を独占していて、他の国が発展できない不公平な状態だった。ドイツがそれを変えようとしたことにも理由があった。

日本は国際連盟に入るとしても、
① 経済的な独占(経済的帝国主義)をなくすこと
② 有色人種への差別をなくすこと
を強く主張すべきである。

日本は英米に従うだけでなく、本当の「正義と人道」に基づいて世界に意見を言うべきだ、という内容です。

(原文は以下)

英米本位の平和主義を排す
作者:近衛文麿
大正七年
1918年

初出:『日本及日本人』、大正7年12月25日発行。
底本:福岡醇祐著『非常時局にたつ近衞公』、p.77-85(昭和12年、東亰閣)。

 戰後の世界に民主主義人道主義の思想が益々旺盛となるべきは最早否定すべからざる事實といふべく、我國亦世界の中に國する以上此思想の影響を免かるゝ能はざるは當然の事理に屬す。

 蓋し民主主義と云ひ人道主義と云ひ其の基く所は實に人間の平等感にあり。之を國內的に見れば民權自由の論となり、之を國際的に見れば各國民平等生存權の主張となる。平等とは個人的若くは國民的差別を拂拭するの意に非ず、個人としては其個性を、國民としては其國民性を十分に發揮せしむるに當り、之が障害となるべき一切の社會上の缺陷、例之政治上の特權、經濟上の獨占の如きものを排除して以て其の個性若くは國民性の発揮に對する機會を均等ならしむるの意なり。かくの如き平等感は人間道德の永遠普遍なる根本原理にして、所謂古今に通じて誤らず中外に施して悖らざるものなり。固陋の徒或は平等の語を聞きて我國體に反する如く考ふると雖も、我國體の觀念は此の人類共通の根本的倫理觀念を容るゝ能はざる程しかく偏狹のものに非ずと信ず。何はともあれ、民主主義人道主義の傾向を善導して之が發達を期するは我國の爲にも吾人の最も希望する事なるが、唯玆に吾人の遺憾に思ふは我國民がとかく英米人の言說に吞まるゝ傾ありて彼等の言ふ民主主義人道主義の如きをも其儘割引もせず吟味もせず信仰謳歌する事是なり。勿論吾人は英米政治家の云爲を全部誠意なきものとなすに非ず。ウヰルソンの如き、ロイド・ジヨージの如きは、眞摯熱誠なる人道の愛護者なるを認むるに躊躇せずと雖も、世には善良なる人にして自ら意識せずに虛僞をなす事あり。動機に於て純なるも結果より見て不純なりしを暴露する事往々にしてこれあり。況んや蠢々たる他の群小政治家評論家、新聞記者の言動に於てをや。

 曾てバーナード・シヨウは其の「運命と〔ママ〕人」の中に於てナポレオンの口を藉りて英國精神を批評せしめて曰く「英國人は自己の欲望を表すに當り道德的宗敎的感情を以てする事に妙を得たり。しかも自己の野心を神聖化して發表したる上は、何處迄も其目的を貫徹するの決斷力を有す。强盜掠奪を敢てしながらいかなる場合にも道德的口實を失はず、自由と獨立を宣傳しながら殖民地の名の下に天下の半を割いて其の利益を壟斷しつゝあり」と。シヨウの言ふ所稍々奇矯に過ぐと雖、英國殖民史を讀む者は此言の少くも半面の眞理を穿てるものなることを首肯すべし。

 吾人は我國近時の論壇が英米政治家の花々しき宣言に魅了せられて、彼等の所謂民主主義人道主義の背後に潜める多くの自覺せざる又は自覺せる利己主義を洞察し得ず、自ら日本人たる立場を忘れて、無條件的無批判的に英米本位の國際聯盟を謳歌し、却つて之を以て正義人道に合すと考ふるが如き趣あるを見て甚だ陋態なりと信ずるものなり。吾人は日本人本位に考へざる可からず。

 日本人本位とは日本人さへよければ他國はどうでもかまはぬと云ふ利己主義に非ず。斯る利己主義は誠に人道の敵にして、戰後の新世界に通用せざる舊思想なり。吾人の日本人本位に考へよとは、日本人の正當なる生存權を確認し、此權利に對し不當不正なる壓迫をなすものある場合には、飽く迄も之と爭ふの覺悟なかる可からずと言ふ也。これ取りも直さず正義人道と人道主義とは必ずしも一致せず、吾人は人道の爲に時に平和を捨てざる可らず。

 英米論者は平和人道と一口に言ひ、我國にも之に倣ひて平和卽人道也とする迷信家あれど、英米人の平和は自己に都合よき現狀維持にして之に人道の美名を冠したるもの、シヨウの所謂自己の野心を神聖化したるものに外ならず。彼等の宣言演說を見るに皆曰く、世界の平和を攪亂したるものは獨逸の專制主義軍國主義なり、彼等は人道の敵なり、吾人は正義人道の爲に之を膺懲せざる可らず、卽ち今次の戰爭は專制主義軍國主義に對する民主主義人道主義の戰なり、暴力と正義の爭なり、善と惡との爭なりと。吾人と雖今次戰爭の主動原因が獨逸にありし事卽ち獨逸が平和の擾亂者なる事は之を認むるのみならず、戰爭中に於ける獨逸の行動が正義人道を無視したる暴虐殘忍の振舞多かりし事に對しては深甚の憎惡を禁ずる能はざるものにして、英米の論者が是等の暴力的行爲を罵るは誠に當然なりと思考するものなれど、彼等が平和の攪亂者を直に正義人道の敵なりとなす狡獪なる論法に對して、其の根據に於て大に不服なきを得ず、平和を攪亂したる獨逸が人道の敵なりとは歐洲戰前の狀態が人道正義より見て最善の狀態なりし事を前提として初めて言ひ得る事なり。知らず、歐洲戰前の狀態が最善の狀態にして、此狀態を破るものは人類の敵として膺懲すべしとは何人の定めたることなりや。

 吾人を以て之を見る、歐洲戰亂は已成の强國と未成の强國との爭なり、現狀維持を便利とする國と現狀破壞を便利とする國との爭なり。現狀維持を便利とする國は平和を叫び、現狀破壞を便利とする國は戰爭を唱ふ。平和主義なる故に必ずしも正義人道に叶ふに非ず、軍國主義なるが故に必ずしも正義人道に反するに非ず。要は只其現狀なるものゝ如何にあり。もし戰前の現狀にして正義人道に合する最善の狀態なりしならば、此の現狀を維持せんとせし平和主義の國必ずしも正義人道の敵に非ざると同時に、此の現狀を打破したるもの必ずしも正義人道の味方として誇るの資格なし。而して歐洲戰前の現狀なるもの之を英米より見れば、或は最善の狀態なりしならんも、公平に第三者として正義人道の上より之を見れば決して最善の狀態と認むるを得ず。英國の如き佛國の如き其の殖民史の示す如く、早く已に世界の劣等文明地方を占領して之を殖民地となし、其利益を獨占して憚らざりしが故に、獨り獨逸とのみ言はず、凡ての後進國は獲得すべき土地なく膨脹發展すべき餘地を見出す能はざる狀態にありしなり。かくの如き狀態は實に人類機會均等の原則に悖り、各國民の平等生存權を脅かすものにして正義人道に背反するの甚だしきものなり。獨逸が此狀態を打破せんとしたるは誠に正當の要求と言ふべく、只彼が探りし手段の中正穩健を缺き、武力本位の軍國主義なりしが故に一世の指彈を受けたりと雖も、吾人は彼が事玆に至らざるを得ざりし境遇に對しては特に日本人として深厚の同情なきを得ず。

 要之、英米の平和主義は現狀維持を便利とするものゝ唱ふる事勿れ主義にして何等正義人道と關係なきものなるに拘らず、我國論者が彼等の宣言の美辭に醉うて平和卽人道と心得、其の國際的地位よりすれば、寧ろ獨逸と同じく、現狀の打破を唱ふべき筈の日本に居りながら、英米本位の平和主義にかぶれ國際聯盟を天來の福音の如く渴仰するの態度あるは、實に卑屈千萬にして正義人道より見て蛇蝎視すべきものなり。吾人は固より妄りに國際聯盟に反對するものに非ず。もし此聯盟にして眞實の意味における正義人道の觀念に基きて組織せられるとせば、人類の幸福の爲にも、國家の爲にも、双手を擧げて其成立を祝するに吝なるものに非ずと雖、此聯盟は動もすれば大國をして經濟的に小國を併吞せしめ、後進國をして永遠に先進國の後塵を拜せしむるの事態を呈する恐なしとせず。卽ち此の聯盟により最も多く利する者は英米兩國にして他は正義人道の美名に誘はれて仲間入をしながら、殆ど何の得る所なきのみならず、益々經濟的に萎縮すと言ふ如き場合に立ち至らんか、日本の立場よりしても、正義人道の見地よりしても誠に忍ぶ可からざる事なり。故に來るべき媾和會議に於て國際平和聯盟に加入するに當り少くとも日本として主張せざる可からざる先決問題は、經濟的帝國主義の排斥と黃白人の無差別的待遇是なり。蓋し正義人道を害するものは獨り軍國主義のみに限らず、世界は獨逸の敗北によりて硝煙彈雨の間より救はれたりと雖、國民平等の生存權を脅かすもの、何ぞ一に武力のみならんや。

 吾人は黃金を以てする侵略、富力を以てする征服あるを知らざる可からず。卽ち巨大なる資本と豐富なる天然資源を獨占し、刄に衅ずして他國々民の自由なる發展を抑壓し、以て自ら利せんとする經濟的帝國主義は武力的帝國主義否認と同一の精神よりして當然否認せらるべきものなり。

 吾人は戰後大に其經濟的帝國主義の鋒鋩を露はし來るの恐ある英米帝國主義を立役者する來るべき媾和會義に於て、この經濟的帝國主義の排斥が如何なる程度迄徹底し得るや、多大の疑懼なきを得ず。しかも若し媾和會議にして此經濟的帝國主義の跋扈を抑壓し得ずとせんか、此戰爭によりて最も多くを利したる英米は一躍して經濟的世界統一者となり、國際聯盟軍備制限と言ふ如き自己に好都合なる現狀維持の旗幟を立てゝ世界に君臨すべく爾餘の諸國、如何に之を凌がんとするも、武器を取上げられては其反感憤怒の情を晴らす途なくして、恰もかの柔順なる羊群の如く喘々焉として英米の後に隨ふの外なきに至らむ。英國の如き早くも已に自給自足の政策を高唱し、各殖民地の門戶を他國に對して閉鎻せんとするの論盛なり。英米兩國の言ふ所と行ふ所との矛盾撞着せる槪ね斯の如し。吾人が英米謳歌者を警戒する所以、亦實に玆にあり、もしそれかくの如き政策の行はれんか、我國にとりては申す迄もなく非常なる經濟上の打擊なり。領土狹くして原料品に乏しく、又人口も多からずして製造工業品市場として貧弱なる我國は、英國が其殖民地を閉鎻するの曉に於て、如何にして國家の安全なる生存を完了するを得む。卽ちかゝる場合には我國も亦自己生存の必要上戰前の獨逸の如くに現狀打破の擧に出でざるを得ざるに至らむ。而して如斯は獨り我國のみならず、領土狹くして殖民地を有せざる後進諸國の等しく陷れらるべき運命なりとすれば、吾人は單に我國の爲のみならず、正義人道に基く世界各國民平等生存權の確立の爲にも、經濟的帝國主義を排して各國をして其殖民地を開放せしめ、製造工業品の市場としても、天然資源の供給地としても、之を各國平等の使用に供し、自國にのみ獨占するが如き事なからしむるを要す。

 次に特に日本人の立場よりして主張すべきは、黃白人の差別的待遇の撤廢なり。かの合衆國を初め英國殖民地たる濠洲、加奈陀等が白人に對して門戶を開放しながら、日本人初め一般黃人を劣等視して之を排斥しつゝあるは、今更事新らしく喋々する迄もなく、我國民の夙に憤慨しつゝある所なり。黃人と見れば凡ての職業に就くを妨害し、家屋耕地の貸付をなさゞるのみならず、甚しきはホテルに一夜の宿を求むるにも白人の保證人を要する所ありと言ふに至りては、人道上由々しき問題にして、假令黃人ならずとも、苟も正義の士の默視すべからざる所なり。卽ち吾人は來るべき媾和會議に於て英米人をして深く其前非を悔いて傲慢無禮の態度を改めしめ、黃人に對して設くる入國制限の撤廢は勿論、黃人に對する差別的待遇を規定せる一切の法令の改正を正義人道の上より主張せざる可からず。

 想ふに、來るべき媾和會議は人類が正義人道に基く世界改造の事業に堪ふるや否やの一大試鍊なり。我國亦宜しく妄りにかの英米本位の平和主義に耳を藉す事なく、眞實の意味に於ける正義人道の本旨を體して其主張の貫徹に力むる所あらんか、正義の勇士として人類史上永へに其光榮を謳はれむ。(大正七年十一月六日夜誌す)

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この記事を書いた人

昭和24年、埼玉県生まれ。昭和59年、大宮市の小学校教員に採用される。大宮教育サークルを設立し、『授業づくりネットワーク』創刊に参画。冷戦崩壊後、義務教育の教育内容に強い疑問を抱き、平成7年自由主義史観研究会(藤岡信勝代表)の創立に参画。以後、20余年間小中学校の教員として、「日本が好きになる歴史授業」を実践研究してきた。
現在は授業づくり JAPAN さいたま代表として、ブログや SNS で運動を進め、各地で、またオンラインで「日本が好きになる!歴史授業講座」を開催している。
著書に『新装版 学校で学びたい歴史』(青林堂)『授業づくりJAPANの日本が好きになる!歴史全授業』(私家版) 他、共著に「教科書が教えない歴史」(産経新聞社) 他がある。

【ブログ】
齋藤武夫の日本が好きになる!歴史全授業
https://www.saitotakeo.com/

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