参政党の躍進で「日本人ファースト」への言及が教師や教育関係者に広がっている。
しかも。きわめて日本的なかたちで。
おおむね先生方の反応はマスメディアと同じ「外国人差別を助長する」というものです。
しかし、参政党が言っていたのは「自国民ファースト」という意味でした。これは世界の主権国家の常識なのです。どんな国でもすべてのことで自国民と外国人を完全平等に扱う行政は不可能だからです。
しかし、世界では当たり前の「自国民ファースト」が日本ではレイシズムのように受け止められてしまう。これは戦後日本の言語空間(メディア・言論)の歪みから来ていると考えています。
例えば、学級の中に外国人がいるのに、これによって教師が外国人を差別するのではないか?子供たちが差別に走るのではないか?という心配が語られています。もしそうなら由々しきことです。
そういういことが出てきたら、教師は断固としてこれを止めなければなりません。でも普通の教師ならそんなことは当たり前のことではないでしょうか?
外国人をいじめたり、給食で外国人のおかずを一品減らしたり、教室に外国人にだけ当てはめる禁止ルールがあったり・・・そんなことがあればそれは差別です。しかし今回の「日本人ファースト」はそういう文脈ではまったくありませんでした(例外があるかもlしれませんが)。
教育基本法では日本の教育は「日本国民を育てる」ことを目標にしています。また国を愛する態度を育てることも大切な目標です。
だから教師は日本語で教えますし、教室の外国人が多数派になってもこの原則は変わりません。別途何らかの手立ては必要になりますが、「1組は中国の方が過半数を超えたので明日から中国語で授業します。それが人権尊重ですよ!」とはなりません。それが差別と言うなら、私はこの話に乗れません、
私は30年前から、教育基本法に従って「国を愛する心情」を育ててきました。
連合国の歴史観で歴史を教えていては目標を達成できないとわかったからです。
しかし教育界はそれは正しくないという意見でした。
「自国に誇りを持つことは戦争につながる」と彼らは主張しました。
しかし私の授業を受けた子供たちは、先人に共感し感謝しながらも、戦争嫌い平和大好きに育ちました。
国を愛することと戦争や人種差別はまったく違うことなのです。
彼らの批判は完全に間違っていたと思います。
私は歴史授業を始めるとき、学級に外国人がいた場合は、保護者を含めて面談を持ちて理解を得てきました。
「日本にいる間は、日本人になったつもりで日本の歴史を学んでください。その方が得るものも多いと思います」というお願いです。みんな受け入れてくださいました。もちろん不満があっても言えないかったのかもしれません。しかしそれで正しかったと信じています。
正直に言うと。
定年間際の浦和実業中学校で一人だけ、中国人でしたが、昭和の授業は受けないことを選択した生徒がいました。そこまでは本人も保護者も理解してついてきましたが、「全体主義とは何か:ファシズムと共産主義」の授業で違和感を持って、そういう希望を言ってきました。もちろん了承して授業の間学習ができるように手当をしました。しかし、彼の気持ちは当然のことです。中2(14歳)になれば中華人民共和国への愛と忠誠があるのは当然だからです。だから、私はその選択を誉めました。
私が家族で韓国に暮らすことになっていて子供の学校の先生にそう頼まれたら、もちろんそれが韓国の歴史教育だと受け入れることが出来たと思います。それが子供の成長にマイナスだと思ったら自宅で足りないところを補ったと思います。それが外国に住み子供を育てる常識ではないでしょうか。
外国人の子供が日本で学ぶ上で言葉に不自由で困る現状があれば、それを国がしっかりサポートする体制・仕組みをつくる。何も準備がないのに野放図に外国人を入れない。そうやって「自国民ファースト」の教育が可能になります。
現状では誰も幸せに離れませんと言っているのが「日本人ファースト」だと、私は考えています。
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