2 「日本人(国民)ファースト」は近代国民国家の標準(デフォルト)です
第2の理由は、いま日本にとって重要な政治的スローガンだった「日本ファースト」を「危ない否定的な言葉」にしてしまったことです。
これは第一の単なるレッテル貼りよりもよりさらに罪が重いと考えています。
彼らのレッテル貼りは必ずしも成功しませんでしたが、なんとなく「日本人ファースト」はあんまり使わないでおこうかという空気が残ったように見えるからです。
かつて「都民ファースト」という政治スローガンがあり、都政がまず第一に都民のために行われるべきということは当たり前だねと受け止められました。何の問題も起きませんでした。
しかし「日本人ファースト」には即「レイシズム(人種差別主義)」という拒絶反応が起きました。メディアや松田さんだけでなく。私の周りにも「なんとなく強すぎる言葉、否定的な言葉に感じた」という方が少なからずいました。
前回も書きましたが、私自身は「国政が日本人(国民)を優先(ファースト)するのは当たり前だ」と思っていました。
それは私がやってきた歴史授業改革運動とも深く関わっていましたので、この問題(プロパガンダ)はないがしろにできないと考えて発信することにしたのです。
まず重要なのは、近代国民国家の原則は「国民の国家」「国民による国民のための政治」です。
ですから日本の政治が「日本人(国民)ファースト」で行われるのは当たり前のことであり、世界標準(デフォルト)なのです。アメリカの政治はアメリカ人のために、イギリスの政治はイギリス人のために、中国の政治は中国人のために行われます。国ごとにグラデーションはありますが、どの国でもいわゆる「すべての人間にある人権」と「国民の権利」は明確に区別されています。
そして現実の人権はどこの国でも「国民の権利」として現れます。「国民の権利」は、その国の歴史と文化、法制度、社会的な慣習の下にあります。わが国の場合、「公民(大御宝)」のための政治は、西洋とは別の経路で発展した「人権観」がベースにあります。それが近代国家(大日本国憲法)に受け継がれてきて今日があるのです。
そして世界のどの国でも、国民の権利と外国人の権利は区別されています。例えば参政権は国民にだけ与えられる権利です。共同体のメンバーシップを得るためには、各国で様々な条件が付けられています。その他いろいろ。
こういう区別まで「差別」とよび、いつでもどこでも無色透明な「天が人間に与えた等しい権利」があるように考えるから、「人間にはファーストもセカンドもない」といった次元の違う言いがかりが現れるのです。いまここにいる現実の日本人(国民)は「抽象的で普遍的な人間」とは異なるのです。
これを否定してしまったら、すべての国民国家は成立できません。国境は消え、領土は消え、民族的なアイデンティティーを持った国家共同体は消えてしまいます。いわゆるグローバリズムには意図的にそういう方向に進めてきた面があり、今回のプロパガンダにもそういう意図が見え隠れしていました。
「天賦人権論」の本家である欧米でも、ようやくこの原則が気づかれ始めて国民意識が動き始めていますが、ただ今回の一件には、国際社会の動向とは別の日本独自の問題がありました。それが戦後日本問題です。
「日本人ファーストはレイシズム(外国人差別)だ」という反応には、「日本の政治は日本人(国民)のために行われるのではない」という自虐的な国家観が埋め込まれていました。無意識のうちにこのような反応をしてしまった松田さんはこの戦後的な常識にとらわれていたのだと思われます。それはまさしく私の歴史教育には敵対する立場でした。
戦後の一定期間、健全な保守とみなされていた保坂正康さんも松田さん同様の発言をしていたのですが、その一番の理由として、「日本人ファースト」は戦後日本の歴史のとらえ方に反逆していることを挙げていました。つまり「日本人ファースト」は修正史観だからダメだと批判したのです。
これは戦後日本の政治が「日本人ファースト」ではなかったことの証明でした。
まさしく、わが国の歴史教育は「日本人ファースト」ではありませんでした。
外国におもねり、日本人の誇りを育てない根無し草を育てる歴史教育でした。
大東亜戦争の勝者が書いた歴史を教え、隣国の歴史におもねる授業をやってきました。天皇中心の国日本の素晴らしいところはなるべく教えませんでした。日本人としての誇りを育てることは禁じられていました。
私の歴史授業も、「教室にいる外国人がつらい思いをする」からダメだとされました。実際はそんなことはないのですがこれまでの思い込みがあるため過剰に反応してしまうのです。「日本人ファースト」に対する今回の過剰反応と通じるものがあります。
一方で、日本人の児童生徒が先人に感謝できず、日本は悪い国だと思い込み、日本人としての誇りを持てなくても、そっちのほうは構わないと考える国だったのです。
今思えば、「日本人ファースト」こそ私の歴史授業の基本的な考え方だったでした。
それで、今回は「日本人ファースト」を闇に葬ることなく、差別とは無縁な健全な政治用語として育てていくことが重要だと考えたわけです。単純にレイシズムと切り捨てて、その意味を考えることすら否定してしまってはならないのです。
これが、松田さんと別れた第二の理由です。
みなさんにはささいな対立に見えるかもしれませんが、私にとって人生をかけてきた仕事にクロスした重要な事件だったのです。これを機会に考えていただければ嬉しいです。
【注】「日本人ファースト」その後
選挙後のインタビューで参政党の神谷宗幣氏は「あれは、選挙のためのキャッチコピーだから・・・」と発言をして、私の期待を裏切るような素振りを見せていました。なんだその程度のことだったのかととても残念でした。
ところが、昨日のYouTubeの参政党記者会見(録画)で、参政党は新しく「日本人ファーストプロジェクト」を始動し、4つのプロジェクトチームを立ち上げたことを知り、よかったと胸をなでおろしました。程度の低い戦後レジームによるプロパガンダに負けなかったことは素晴らしいことであり政党としての成熟度が増したと思えました。
ちなみに、プロイジェクトチームは次の4つだそうです。
1 スパイ防止法制定
2 新型コロナウイルス感染症対策とmRNAワクチンの検証(陰謀論とは一線を画して科学的に)
3 外国人問題対策(移民・土地取得問題・ビザ問題など)
4 国民負担率35%の実現
詳しくは書きませんが、「日本人ファースト」が外国人差別とは関係ないことを明示したうえで、今後も国政の理念として重視することを明言していました。「この言葉を健全な政治ワードとして育てることが重要だ」と提言してきた者としてほっと胸をなでおろしたところでした。
本音を言えば、対文部科学省とくに歴史教育の健全化についても、早めに本気になってほしいところですが。まあこれについては参政党の地方議員のみなさんが頑張ってくれています。
この会見で神奈川新聞の記者が質問に立ち、「人種差別撤廃条約では「区別」や「優先」もすべて人種差別であるとしているのにまだ日本人ファーストを掲げるのは間違いだ!」と演説していました。赤旗とならんでこのプロパガンダの先頭に立った新聞社ですね。その後の参政党の返答から、まさにこのプロパガンダの目標が「外国人参政権」にあったことが明らかになった場面でした。
松田さんがそういうプロパガンダに加担してしまったことが残念でした。
参政党を批判するならこれではない別の観点で批判すればよかったのですがね。
私も参政党にはいくつか意見の異なるところはありますが、いちばんまともなところで悪口を言い続けてしまったので、私に批判される結果になり、精神的に追い込まれた彼は、私に絶交を申し入れることになりました。
老い先短い私にとっては、たいへんよい結果になりました。
(つづく)
・次回は、その後続々と寄せられた各種の「松田情報」の中からいくつか厳選してお届けしたいと考えています。
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