はじめに
前回の予告とは少しずれますが、必要が出てきたので記録を残すために書きます。
この間、田村匡俊さんとやり取りした結果、今後は次のようにしていただくことになりました。
1 私の「授業」を大人向けの有料講座で使うことを禁じます。
ここで「授業」とは、カリキュラム・教材化された史実・学習のための資料・政策選択発問と教育方法・歴史教育についての考え方等すべてを含みます。
2 各種集会などで、私の授業を追試した小学校実践を自分の実践のように発表することを禁じます。
3 寺子屋で児童生徒に私の授業で教えるのはこれまで通りです。
彼も「わかりました」と受け入れてくれたので一安心していますが、これまでも、そのたびに反省とお詫びで切り抜けて、同じことを繰り返してきた経緯がありますので、注意して見守りたいと思っています。
それは、勝兵塾や教育立国推進協議会や著名なYouTuberの方々などの著名人の中に彼のことを見誤って応援されている方がいらっしゃるせいもあります。応援されるとついまたやってしまうのでしょう。私の主戦場は「小中学校の歴史教育」でしたので、そういう場所では私の授業はまったく知られていませんから、彼もやりやすかったことでしょう。彼らはただ真相を知らないだけかもしれませんが、今後はその見識を見守りたいと思っています。
田村さんの「志」について
1 彼は私の本を読んで小学校で1回だけ歴史を教えました(私の授業の追試実践です)。すると彼はすぐに小学校教員を退職します。迫害されて辞めさせられたように話しているようですが自主退職でした。私はとても不思議に思いました。この授業は小中学校で実践するのが最も価値のある仕事だからです。
2 その後彼は保守系の各種の集会に熱心に参加し、小学校で1回やった追試授業を自分の実践のように発表して歩きました。追試した先生はわかると思いますが、子供たちの感想文がどれも素晴らしいので、私の仕事を知らない人たちはみな感動してしまいます。
私はおろかにも「彼は何をやっているのだろう?」と不思議に思うだけでした。「それは私の授業の追試なのだからそれを明示してくださいね」とお願いするだけでした。
つくる会の藤岡信勝さんから「彼の話している内容は齋藤さんの授業じゃないか?と思って聞いていた」とうかがったことがありました。アパホテルの勝兵塾でのことだそうです。
元文科大臣の下村博文さんが始めた教育立国推進協議会で「歴史教育の代表発表者」になったと聞いたときは、さすがに仰天して、渡邉尚久先生や白駒妃登美さんのから、田村さんの実践の真相について伝えていただいたことがありました。それでも参議院議員会館での発表者は変わらず、彼は延々と「自分の授業」を発表した最後に「齋藤先生に学びました」と付け加えただけでした。こういう宣伝活動は今も続けているようです。なのでこれもやめてもらうことにしましたわけです(上記)。彼はそうやって「歴史の先生」として認知されていったようです。
3 その後、彼は「これは子供のための授業だよ」という私の言葉に従って寺子屋を開きました。その前は加賀のフリースクールに参加したり、地元の小学校で歴史を教えた(講師)という話も聞きました。いい方向に向かったなと見守っていました。しかし請われれば成人向けの有料講座もやっていたようです。そして今回の本格的な有料の連続講座を始めました。
来月講座で実施される講座は私の19時間の「明治の授業」そのままでしたが、パンフレット(告知文)には私の名前も著書の紹介も一切ありませんでした(私がFacebookに書いたので今は修正されているようです)。
今ようやくわかったのですが、彼の教員退職からここまでがひとつながりの計画だったのではないかということです。つまり、「私の授業は保守業界で商売になる」とわかってやってきたように見えるのです(もちろん彼はそれが日本のために良いことだと考えたからでしょうけれど)。
だから私たちにとっての主戦場だった教育現場から早々に離れてしまったのではないかと思っています。それに早く気づいていればもう少し効果的に対処できていたかもしれません。
彼は以前「齋藤先生のおかげで志が立った」と言っていましたが、「志」とはこのことだったのでしょう。私たちのめざしてきたのは小中学校の歴史授業改革でしたから、彼が「先生の授業を広めたい」といったとき、それは当然。先生方に、学校に、広めることだと思い込んでしまったのでした。それは間違いでした。
まとめ
私(たち)は義務教育の歴史授業を改革することをめざして30年やってきました。
自由主義史観研究会の数人の仲間はみな孤立無援のなかで頑張ってきました。95年から10年間ほど続いたメディアや教育界の誹謗中傷の嵐を覚えている方はもはや少ないことでしょう。ようやく世間が受け入れ始めたのはせいぜいここ10年に過ぎません。
私たちを支えてきたのは授業を受けた子供たちの目の覚めるような成長でした。軟体動物に背骨が入ったみたいな劇的な変容があったからです。歴史教育はまさに「本学」でした。
それは田村さんだけでなく、追試している先生方の教室でどこでも見られることなのです。だから教育委員会や校長たちの心配(?)をよそに、保護者からのクレームはまったくありませんでした。
時間はかかるが教育を変えていくことこそが日本の未来につながる、という思いでやってきました。
だから彼の野望にはやや不純なものを感じてしまったのでしょう。
ただ、大人たちもこのような歴史授業(自己肯定感を高める)を求めているということは、私たちも早くから気づいていました。ただ、大人に対する歴史授業は子供向けとは異なるファクターが必要だと考えています。いずれにせよ、私の子供向けの授業をそのまま成人向けの講座にしてしまうのは主旨が違います。
退職して10年、ようやく私の授業の追試運動が全国の学校・塾・フリースクールなどに広がりつつあります。
まだまだ極少数派ですけれど。
田村先生には、できれば教育現場に戻って歴史授業追試運動に参加してほしいと願っています。
(つづく)
次回は「子供のための歴史授業」と「大人のための歴史」というテーマで私なりの考えを書きます。



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