★学説には、日本の独自の信仰である「神道」に対する価値判断が含まれている。また明治政府の「神仏分離政策」を肯定的に捉えるか否定的に捉えるかという価値判断も含まれている。
明治新政府の宗教政策
1868年1月3日(慶応3年)王政復古の大号令
「諸事神武創業の始めにもとづき・・・」 「祭政一致」の政体
慶応4年・明治元年 祭政一致と「神祇官」設置の布告
社僧・修験者の還俗を命ず
神仏判然令・・・「権現」「牛頭天皇」など仏教由来の神名禁止
神体となっていた仏像の排除
鰐口・梵鐘などの仏教的用具の排除
廃仏毀釈の動乱(堂舎・仏像・経巻などを破却した)
明治数年まで続いた
明治2年7月 「太政官ー神祇官」体制
明治3年正月 大教(神道)宣布の詔
各地に宣教師を派遣し神道国教化を図る
外・・・キリスト教流入の阻止
内・・・神仏習合を排して神道を神武創業の始めに戻そう
明治4年8月 政策に変化が出てくる
神祇官の格下げ・「神祇省」になる
平田篤胤派の神祇省からの排除・島地黙雷(真宗)の登用
明治5年 神祇省が「教部省」に編成替え
教育機関として「大教院」を設立
(神道と仏教が共同して国民教化とキリスト教排斥を進める)
明治6年 岩倉遣欧使節団帰国-キリスト教禁令は不可能になった
明治8年 大教院の廃止
明治10年 教部省の廃止(「内務省社寺局」へ縮小) 西南戦争
★こうして神道国教化政策は放棄された
★一方、神社の制度的再編は進められた
・世襲神職の廃止
・伊勢神宮祭祀の改革
・宮中祭祀の改革
・神社祭祀の体系化
・社格の整理
・神社合祀(一村一社に統合していく)
★挫折した神道国教化から「神道非宗教論(生活慣習であって宗教ではない)」が出てくる
★神仏分離政策は文明開化政策だった
・日本の伝統的習俗の禁止と連動して「国民の精神を再編する」ものだった
(男女混浴・庭先の行水・肌をさらす生活などをやめさせるなど)
・修験道廃止、陰陽道廃止など。修験者・陰陽師・世襲神職など伝統的宗教者が排除されていく
★仏教界もまた神仏習合を排して「仏教」を純化しようとした
神仏習合はどう研究されてきたか?
「日本固有信仰論」
・宮地直一①固有の敬神思想を持続した時代(奈良まで)
②仏教その他の外来思想を混交した時代(維新まで)
③神仏分離が行われた時代(今日まで)
・堀一郎「神道は日本文化の潜在意識」として外来文化を区別してきた
・石田一良「仏教・儒教・国家主義といった時代ごとに変わる衣装にかかわらず神道の
原質は変わらなかった
・柳田国男「固有信仰論」
・丸山真男「古層論」
「仏教日本文化融合論」・・・神仏分離はそれを暴力的に引き裂いた!
・辻善之助
・村山修一
・黒田俊雄「神道は中世までは存在せず仏教の一部だった」
「神仏隔離論」
・高取正男「神道と仏教を弁別する意識は当初からあった」
「神仏分離は神本仏迹説の頃からあり、それが明治に現実化した」
・西田長男
用語「神道」の初出は日本書紀
・用明紀「天皇仏教を信じ、神道を尊ぶ」
・孝徳紀「仏法を尊び、神道を軽んず」
・大化「惟神(かんながら)は神道にしたがうをいう。また自ずから神道あるをいう」
★シナ(漢文)の出典では「神祇・神霊やその祭祀・呪法」を意味する
神道の成立には諸説ある
・奈良時代に独自の宗教として自覚された(高取)
・伊勢神道等の社家神道から始まり近世の儒家神道で日本の民俗宗教になった(黒田)
・11世紀の中世独特の神話記述から始まり吉田神道で独立(井上)
★著者は井上・黒田説をとる。それ以前は「神信仰」「神祇信仰」の用語を使う。


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