小山和弘先生の授業4「聖徳太子の独立をめざす外交に賛成か反対か」



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★これは聖徳太子の対等外交と呼ばれる政策を授業にしたものです。
 古代東アジアの国際秩序は「華夷秩序」「中華冊封(さくほう)体制」といわれます。チャイナの帝国が周辺の民族国家を野蛮国として従えています。チャイナの皇帝は天から天下(世界)の支配を任されています。皇帝は周辺国の君主を「王」に冊封(任命してその国を与える)します。「王」という称号は皇帝の家臣を意味しますから属国と認定されます。これはその国の安全保障や文化の受容などに大きな効果があります。

★子供たちは「弥生時代の王たち」と「邪馬台国の卑弥呼」の二つの授業で、古代東アジアの国際秩序を学びます。奴国王は漢の武帝に冊封されて金印をもらいました。たくさんのクニが並立状態の日本列島で、奴国王が漢から冊封された効果は大きかったことでしょう。子供たちは「水戸黄門の印籠みたいな(周りのクニがひれ伏すような)効果があったんじゃないか?」と言いました。これは超大国の属国になるメリットです。

★邪馬台国の勉強では「卑弥呼も金印をもらっただろうか?」という学習をやります。子供たちは日本(当時は大和です)が中国の家来だという歴史に不満なので「200年もたったんだからそろそろ独立したんじゃないか」という予想に傾きます。しかし「日本の統一を目指すなら、金印をもらった方がいいかも(統一に役立つ)」という意見もあります。『魏志倭人伝』の資料を読んで、子供たちは卑弥呼はまだ隣国と戦争をしていたこと、卑弥呼は義の皇帝の冊封を受けて「倭国王」の金印をもらい、魏の皇帝は卑弥呼の戦争を応援したこと等を知ります。、まだ日本が独立できていなかったので、教室は(ふつうは)ちょっとがっかりした空気に包まれます。

★やはり、たとえかたちの上であれ、日本がどこかの国の家来だった、属国だったということが、子供たちには素直に受け入れがたいのです。また子供たちは日本関係の名前に「奴」「卑」「邪」などという悪い漢字が使われていることがとても不愉快なのです。しかし、属国であることのメリットもわかります。戦後日本がまさにそうでしたね。

★その後、古墳の授業で「大和朝廷の日本統一」を学び、「建国神話」を学び、そのあとに「聖徳太子の授業」が来ます。これがその授業です。後漢滅亡後250年チャイナは分裂と抗争の時代で周辺国への圧力は弱まっていました。日本列島はまさにこの外圧がない時代にみごとに統一を果たしました。聖徳太子が7歳になったときチャイナは鮮卑族の皇帝によって統一されます。これが大帝国「隋」でした。周辺国に激震が走ります。朝鮮半島の三国はすぐにお土産を持って挨拶に行き、冊封を受けました。日本はどうしたのでしょうか?


〈A〉賛成=対等な関係
〈B〉反対=今まで通り


Aの児童
・各国の立場の高低がなくなったほうが平和になると思うからです。
・もう日本はまあまあ発展して強い国になってきているのに、ずっと下に見られ続けるにはいやだと思ったから。
・いつまでも隋の家来として立場が下なのはなんかいやだし、日本は支配されずに自由にすればいいと思ったか
らです。
・家来だと自分の意見が出せないから。
・いくら隋が力を持っていても、海をはるばるこえてせめるのは大変だし、日本は1つの国としてまとまってい
るからです。
・隋になめられているのが嫌でAにします。みんなが平和に暮らすには、平等になったらいいと思いました。日
本がやめたら、他の国もやめていくと思います。
・日本は、1つにまとまって安定しているので、同等の関係になって新しい道を切り拓いていった方がいいと思
ったからです。
・今、隋の家来じゃなくならないと、ずっと家来のままで言いなりになってしまうし、未来の人々が困ってしま
うから。
・隋の下の関係になったとしても自分たちが弱いままで終わってしまうので、同じ立場になった方がいいと思っ
たから。


Bの児童
・隋にそんなことをすると日本を1つにまとめるどころか、日本自体がなくなってしまうかもしれないからです。
たしかにずっと家来でいるのは嫌だけど、もしかしたら大きな戦いが起こり、日本がなくなるかもしれないから。
・隋の力は強いので、このまま家来としていたほうがいいと思いました。
・Aがいいかなと思ったけれど、まだ隋よりも弱い状態ではむかってもほろぼされるだけだから、今まで通り過
ごしながら力をたくわえて、隋より強くなってからはむかったらいい。
・隋の家来だとしても、隋は力がとても強いので、守ってもらえるし、いじめられることはないので、独立しな
い方がいいと思いました。家来をやめたら争いごとができるかもしれないからです。
・わざわざ強い隋にけんかを売る必要がないし、今までが平和ならわざわざ争いになって死ににいく必要がない
からです。
・力が強い国にそんなことを言ったら戦争になりかねない。国民の命を守るためにもBがいいと思います。独立
するなら日本がもっと強い国になってからのほうがよい。
・隋の皇帝をおこらせてしまうと隋がせめてきて戦争になってしまうと思ったから。


★戦後日本は敗戦後アメリカの属国になりました。現在もその関係は続いています。戦後日本ではAの意見は少数派でした。現在もBが多数派のようですね。やはりメリットのほうが大きいと国民が考えているからでしょう。

★聖徳太子は隋とまずかたちの上で「対等」になろうとしました。それが、隋からは冊封を受けないという選択でした。「日本の君主は他の国々のように「王」を名乗りません(あなたの冊封は受けません)、これからは「天皇」です」と伝えて、以後、日本の君主号は「天皇」になりました。これが古代における日本の独立宣言です。

★李氏朝鮮が日清戦争1994まで「王(皇帝の家臣)」だったのはこの古代「華夷秩序」の継承でした。朝鮮半島はチャイナと地続きで、日本は日本海というお濠で隔てられていました。この地の利を生かしながら、聖徳太子以後の日本のリーダーたちは国づくりをすすめました。東アジア世界の中で、日本が独立国と言えるのは、聖徳太子以後の日本がチャイナの冊封を受けず、天皇を名乗り続けたからなのですね。

★隋は高句麗遠征の失敗と相次ぐ内乱のせいで聖徳太子が亡くなる4年前に滅亡してしまいます。

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この記事を書いた人

昭和24年、埼玉県生まれ。昭和59年、大宮市の小学校教員に採用される。大宮教育サークルを設立し、『授業づくりネットワーク』創刊に参画。冷戦崩壊後、義務教育の教育内容に強い疑問を抱き、平成7年自由主義史観研究会(藤岡信勝代表)の創立に参画。以後、20余年間小中学校の教員として、「日本が好きになる歴史授業」を実践研究してきた。
現在は授業づくり JAPAN さいたま代表として、ブログや SNS で運動を進め、各地で、またオンラインで「日本が好きになる!歴史授業講座」を開催している。
著書に『新装版 学校で学びたい歴史』(青林堂)『授業づくりJAPANの日本が好きになる!歴史全授業』(私家版) 他、共著に「教科書が教えない歴史」(産経新聞社) 他がある。

【ブログ】
齋藤武夫の日本が好きになる!歴史全授業
https://www.saitotakeo.com/

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