・渡邊先生のFacebookの投稿を転載させていただきます。感謝を込めて。子供たちの振り返りをぜひご覧ください。
【No.13 大化の改新と天皇中心の国づくり】
本日、夏休み前、最後の授業でした。(進度は遅いかも…)
なんと、教室の後ろには齋藤武夫先生。齋藤先生に授業を観ていただきご指導をいただけるなんて、なんと贅沢な時間だったでしょうか。
今日は「大化の改新と天皇中心の国づくり」だったが、ポイントは当時の日本のリーダーだったらどちらを選ぶか、のところの私の認識であった。
Aは、蘇我氏中心、いわゆる実力者中心の国。Bは聖徳太子の方針、天皇中心の国。
Aが5人。Bが26人。
それぞれがなぜ、それを選択したのか、A→Bの順で発言をさせた。
ここで私は大きなミスをする。
全員がBを選択しなかったのはよかった。ここまで天皇、天皇と授業をしてきたものの、全員がBに傾くのはどうかと思っていた。だから、5人でも選択してくれたのは授業としてはよかったと思う。
ただ、ここで、Aの実力者中心の国づくりは、世界ではスタンダードであり、Bという天皇中心の国づくりという考えは世界の中ではまれであるという認識を持っていなければならなかった。
それなのに、ただ、意見を聞いただけで、そのまま、次の展開に行ってしまったのだ。
このところを、授業後、齋藤先生からご指導いただいた。詳しくは齋藤先生がコメント欄に書いてくださると思うが、ここでのこの認識があるのとないのとではその後の授業展開にも大きくかかわることになる。
教材研究の浅さに我ながらあきれる。
やはり、授業を観てもらい、指導をいただくことって大事だなあと感じた。
齋藤先生、もし、よろしかったらコメント欄に、私に指導した内容をあらためて載せていただけると皆さんの役に立つと思いますので、よろしくお願いいたします。
(ここから児童の振り返り)
蘇我氏が乱暴すぎて倒そうと思いました。中大兄皇子と中臣鎌足は蘇我氏を倒して胸がすっとしました。大化の回心って結構、国が整っていて嬉しかったです。
今回は良くない働きをした蘇我氏を倒した中大兄皇子と中臣かた(あっ、ヤベ)かまたりがナイスファイトでした。
蘇我氏が一番の権力を持っていたけど、乙巳の変があってよかったなーと思った。中大兄皇子はなぜなかなか天皇にならなかったのだろう?乙巳の変をその時の天皇、皇極天皇は知らなかったのかな?
聖徳太子がけんかを売ってなかったら私たちぼくたちは中国人かもしれない。天皇って本当に大事なんだなあとあらためて思いました。
聖徳太子の意思をつなぐ人がいてよかった。蘇我は結構、やばいな…戸籍はこんなに昔からあったのか。結果、中大兄皇子は天皇になるんだな。乙巳の変が失敗してたら蘇我にのっとられてたかもね。できてよかった~。
中大兄皇子が天皇にならなかったのは民に蘇我氏を倒したのは自分が天皇になるためだと思われないようにするためだと思う。それだけで嫌なイメージになるからね。
昔の人は邪魔だと思った人をバッタバッタ倒していくから今の時代に生まれてよかったと実感した。それと、600年くらいから日本の成長の仕方がすごくて聖徳太子がすごかったのだと思う。
もし、蘇我氏が国の中心になったら日本は武力で解決する国になって滅びてしまうと考えた。改革が最初はよく分からなかったけど、意味を聞いたら納得した。中大兄皇子が38代天皇になっていてすごく納得した。
今回の授業では初めて知ったことしかありませんでした。蘇我氏が死ぬのもなんかすごいし、首吹っ飛んでたし、中大兄皇子と中臣が親友になるのも、しかもそのきっかけがスポーツなのもすごいなと思いました。改新があり、国もよくなったし、元号と天皇の順番が違ったらヤバかったからよかったなと思いました。夏休み前最後の授業、有難うございました。
今日の授業わかったことは天皇より元号が先に入っていたら中国の元号をずっと使わなければならないということに疑問を持った。蘇我入鹿が先に天皇になったら実力者中心の国になってしまうということがわかった。
今日は新たな中心人物「中大兄皇子」「中臣鎌足」が出てきた。この2人の出会い方も独特で今後またこの2人が歴史上、どのようなことをしてくれるのか楽しみです。
聖徳太子の一族が滅亡して、蘇我氏の力が強くなっていて、下手をすれば殺されるかもしれないのに殺した、という勇気がすごいと思った。その後の改革も聖徳太子の考えにそっていて、中身も素晴らしいからより尊敬した!2学期の授業が楽しみです!
中大兄皇子と中臣鎌足の出逢いは運命の出会いだなと思った。でも、この2人が出逢っていなかったらどうなっていたのかも気になった。そして、いろいろ改革を決められるのもすごいと思った。
聖徳太子の死後も聖徳太子の国づくりの方針を受け継げる人が日本のリーダーになることができて良かったなと思いました。もしも、蘇我氏がリーダーになっていたら実力主義で争いが絶えない国になっていたのではないかと考え、おそろしいなと思いました。リーダーとなった2人はこの後、どのような政治を行っていくのか気になります。
人がすぐに死んでいくことなどがこわいなと思った。蘇我氏がこのままだったらやまと(日本)が大変なことになっていただろうなと思った。
この授業では、太子の意思を継ぐ、中大兄皇子と中臣鎌足がタッグを組んで、入鹿を倒すことができてよかった!もしも、元号と天皇が逆だったら日本じゃなかったかもしれないと思うとすごくこわい!
僕が当時のリーダーったらBを選びます。理由は、国民の意見を聞いてそれを実行するのがいいと思ったからです。天皇と元号が反対じゃなくてよかったのかな?少しわかっておりません。次の授業で教えてください。夏休み前最後の授業、有難うございました。
もし、BではなくAの選択をしていたら今の日本がなかったかもしれないと考えると中大兄皇子と中臣鎌足はすごい人なんだなと思うことができました。また、天皇より元号が早くできていたら中国の属国になっていたかもしれないと聞いてびっくりしました。
天皇と元号が逆だったら今の日本はないから太子はすごく賢いなと思ったし、太子はすごく日本を救っているなと思いました。
元号を先に決めていたら中国の下であって元号も無かったと考えるとやっぱり聖徳太子はすごかったんだなと感じます。税の制度やら元号やら色々な事が決まったのはこの頃なんだなと思いました。
歴史の人物がいるからこの世界があり、昔からのルールが今も続いているということはすごく素晴らしいことだと思いました。蘇我氏を倒すことによって結局は良い方向にいっているので良いのかなと思った。
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