「文科省がそんな立派な「目標」を書いているのにそれをスルーさせているのはなぜですか?」
という質問をいただきました。素晴らしいご質問です!ズバリ言うとお役人たちは「国を愛する心情」や日本人としての誇りを育てることに賛成していないからだと思います。
賛成していないのになぜ書いているのかというと、「政治家にかされた」からです。中川昭一さんや安倍晋三さんなどの自由主義派の議員たちです。
安倍さんはその後首相としてGHQ教育基本法を改正して「国を愛する態度」「国民としての自覚」を養うのが日本の教育の目標だとしました。文科省はいまでは教育基本法すらスルーです。
役人政治の間違いや失敗が国民にチェックされません。ここが日本の立憲政治(民主主義)のいちばん大きな欠点だと思います。
今年は中学校の教科書採択が行われます。歴史教育の最も重要な目標を達成できる教科書は「新しい歴史教科書」(自由社)です。みなさん地域の教科書展示会場にお出かけください。教育委員、都道府県知事、市町村長のみなさま、ぜひ教科書を見て選んでください。どうぞよろしくお願いします。
少し横道にそれたので元に戻します。
聖徳太子の一連の授業で「天皇中心に一つにまとまる国」というわが国の国柄(国体)が子供たちに手渡されました。もちろんこれはそれ以前の建国神話や大和朝廷による日本統一の授業としっかりつながっています。が、国柄(国体)の考え方としてこの概念が出てきたのはここが初めてです。
「日本が好きになる!歴史授業」では「天皇中心の国」がどう継承されて今日に至っているかという理解を大切にします。それがシン皇国史観、広い意味での皇国史観(国体)という物語の継承だと考えています。が、その継承の仕方がかつてとはちょっと違います。それは追々書いていきます。
まず教科書に出てくる中大兄皇子の「大化改新の授業」です。
まず次の資料を読みます。
お話「聖徳太子一族の滅亡」
①聖徳太子の死後、 再 び蘇我氏の一族が権 力 をふるい始めた。
とくに蘇我馬子の孫の蘇我入鹿は、唐から帰国した 留 学生が先生になって日本のリーダーを育てていた 塾 の中で、一番頭がいいといわれ、 朝 廷の政治でも実 力 を出していた。蘇我氏は天皇の 宮 殿と同じような屋敷を建てて「みかど」とよばせたり、天皇と同じような古墳をつくらせて「みささぎ」とよばせたりした。「みかど」も「みささぎ」も天皇だけが使える言葉だったので、人々は蘇我入鹿の心をあやしんだ。
てんのう つか こと ば そ がのいる か
②聖徳太子の 娘 は言った。
「蘇我氏は国政をほしいままにして無礼なことばかりしている。天に二つの太陽はなく、国に二人の大王はいないはずではありませぬか」
人々は、聖徳太子の子である山背大兄皇子に天皇になってもらい太子の国づくりを受けついでもらいたいと願った。
③これはあぶないと考えた蘇我入鹿は、643年、武力で山背大兄皇子を襲った。
皇子の家来たちは
「東に逃げて生きていれば味方はいるのだから 必 ず蘇我氏を倒すことができます」
と皇子を説得したが皇子は聞きいれなかった。そしてこう言って死んだと『日本書紀』に書いてある。
「 私がもし兵をひきいて戦 えば、その戦 いでまた多くの国民の命をうばうことになる。 私一人が死んで国がまとまるのなら、それも男子の道といえるのではないか」
皇子は自殺し一族の者も後を追って死んだ。こうして聖徳太子の子孫は絶えてしまった。
そして蘇我氏が 朝廷の実権をにぎった。
そして、次の「政策選択問題」を与える。
【問題】みなさんは当時の大和朝廷のリーダーの一人です。AかBのどちらかを選んで理由を書きましょう。
A 実力者(いまは蘇我氏)中心の国
国がまとまるのなら、蘇我氏中心の国でもかまわない。いや、その時その時でいちばん実力のある人が中心になって国をまとめたほうが、日本はより発展するだろう。ここで蘇我氏を倒す戦いを起こせば、山背大兄皇子が聖徳太子の「和」の教えを守って戦いをさけた意味がなくなってしまう。
B 天皇中心の国(血筋を守る)
蘇我氏を倒して、天皇中心の国のかたちを守り、聖徳太子の国づくりの方針を受けつぐべきだ。 このままで進めば太子の「天皇中心の国」という大方針は失われ「蘇我氏中心の国」になってしまう。また、いつか蘇我氏より強い第二、第三の実力者が現れ、そのたびに「〇〇氏中心の国」にするための戦いがくりかえされるだろう。
意見は二つに分かれる。
Aを選ぶ意見
「国の中心は家柄じゃなく実力で選んだ方がいい。実力者中心の方が日本が発展すると思う」
「地位や身分を家柄で決めるのはダメだから実力で決めようというのは聖徳太子の考えです(冠位十二階・十七条の憲法の7条)。天皇だけ家柄で選ぶのではダメ。聖徳太子の考えを生かしたい」
「チャンスがあったらぼくとしてはてっぺんを取りに行きたい。天皇の血筋じゃなくても、実力があれば国のてっぺんになれるというルールにしたい」
「ここまでの授業でたぶんみんなはBを選ぶと思った。少数意見のほうが楽しいのでこっちにした(^^)/」(それって自分の考えじゃねえんじゃね?)
Bを選ぶ意見
・「天皇中心の国は聖徳太子の大方針だった。聖徳太子の考えを受け継いだ方が絶対いいと思う」
・「天皇は神様の子孫だから実力者がいっぱいいた大和朝廷の中心になった(大王)んだと思う。国の中心は頭がいいとか強いとかできるとかじゃなく、そういうヒトがいいんだと思う」
・「蘇我氏ってすごく嫌な感じだ。山背大兄皇子を殺したし。実力あっても国の中心にふさわしくない」
・「実力者中心の国だと今はいいけど、次の実力者が出てきたとき結局戦争で強いほうが中心になる。戦争で決めるのはダメ。次の実力者また次の実力者と出てくるたびに戦争を繰り返す国になりそう。天皇中心の国が平和でいい」
・「今も日本は天皇が国の象徴で続いてる。だから中大兄皇子もBを選ぶと思う。じゃないと今に続かない」(それって自分の考えじゃなくて予想じゃね?)
これまでの経験では、やはりBを選ぶ子供が多く、Aを選ぶのは少数派だった。
が、少数でも元気がいいので毎回話し合いは盛り上がる。
やはり、氏姓制度(小学校では使わないけど)から律令の官僚制度に脱皮するための決め手は「実力のあるヤツを役人にする・適材適所」だから、子供たちはみんな冠位十二階とかすごく好きです。なので、Aからこの観点が出てくると、教室は一瞬息をのむ。安心していた多数派のBたちは「えっ?!」となって、また盛り上がるわけだ。
小学生だとちょっと難しいが、中学生だと、実質はほぼ「易姓革命か?天皇制か?」論争みたいになって聞いているほうも興奮するほどです。そういう用語は使わないが、実質はそういう話し合いになる。
この話し合いの後、乙巳の変と大化の改新の詔と日本初の元号制定を学ぶ。
日本は日本独自の「天皇中心に一つにまとまる国」を選択して、天皇については「実力主義をとらない」と決めたのが乙巳の変だったわけだ。こうして日本は聖徳太子の設計図の下に律令制導入の一歩を踏み出していきます。
だが、まだこの授業終了の時点では、子供たち全員が「天皇中の国・日本」を「わがこと(自分事)」にできたわけではない。それが決定的に沁みるのはやはり「源頼朝と鎌倉幕府の授業」だという実感です。これについてはまた後ほど。
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