「日本が好きになる歴史全授業」とは何か?—— 齋藤武夫先生が語る歴史授業の本質|日本まほろば社会科研究室
「日本が好きになる歴史全授業」とは何か?—— 齋藤武夫先生が語る歴史授業の本質
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2025年4月30日 12:17
目次
- 教育基本法の理念に根ざした歴史授業
- 子どもを成長させる「父性」と、今を認める「母性」
- 所属感が自己肯定感を生む——エリクソンと重なる実感
- 「どちらを選んでも正解」の問いが思考を拓く
- 誰でも実践できる教材設計と子どもたちの熱中
- 歴史教育が生む“自分ごと”としての日本
- おわりに – 日本まほろば社会科研究室より
教育基本法の理念に根ざした歴史授業
齋藤武夫先生の「日本が好きになる歴史全授業」は、教育基本法の理念に深く根ざしています。
教育基本法第2条には、次のように記されています。
第2条 教育は、次の目標を達成するよう行われなければならない。
一 幅広い知識と教養を養うとともに、真理を求める態度を養うこと。
二 個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うこと。
三 正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力の精神、公共の精神に基づく社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。
四 生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。
五 伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。
教育基本法第2条より
特に第5号には、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと」とあり、「我が国と郷土を愛する態度」が教育の目標として明記されています。加えて、学習指導要領でも小中高を通じて、国民としての自覚や公共の精神が重視されています。
しかし実際の現場では、この理念が具体的に授業でどう実現されているかとなると、なかなか語られることが少ないのが現状です。齋藤先生の歴史授業は、まさにこの理念を体現し、子どもたちの中に自然な形で「日本の一員であることの誇りと責任」を育てていく取り組みなのです。
歴史の授業で「日本が好きになる」——そんな授業が、いま全国の小中学校で静かに広がっています。その中心にいるのが、齋藤武夫先生です。齋藤先生が作った授業を受けた子どもたちは、歴史上の出来事についての議論に夢中になり、授業が終わっても廊下でも話し合いを続け、気づけば社会科が「一番好きな教科」になる。そんな“奇跡のような授業”がどのようにして生まれたのか。その思想的背景に触れていきましょう。
子どもを成長させる「父性」と、今を認める「母性」
齋藤先生は、教育には二つの矛盾した使命があると語ります。
- 今の子どもに足りないものを教え、成長を促すこと
- 今の子どもをそのまま認め、存在自体に価値を見出すこと
教育の現場では前者ばかりが強調されがちですが、後者の視点がなければ、子どもにとって教育は自己否定の連続になってしまいます。齋藤先生は、この教育のジレンマを
「馬を水辺に連れて行くことはできるが、水を飲ませることはできない」
という格言で例えています。つまり、教師や大人がいくら学ぶ機会や環境を整えたとしても、子ども自身が「学びたい」「吸収したい」と思わなければ、真の意味での学びは成立しません。
では、子どもが自発的に水(学び)を飲むようになるには、何が必要なのでしょうか。それは、「自分はここにいていい」「自分は価値ある存在だ」と心から感じている状態、すなわち自己肯定感の土台がしっかりしていることです。人は自らの存在が受け入れられ、尊重されていると感じて初めて、未知の世界に一歩踏み出し、学びに向かうエネルギーを持てるようになります。教育においては、この“存在の肯定”が前提にあって初めて、“能力の伸長”という次の段階が意味を持つのです。
この視点から、齋藤先生は教育を「能力に働きかける父性的アプローチ」と「存在に働きかける母性的アプローチ」に分けて捉えました。歴史授業とは、この二つを両立させる場でもあるのです。
所属感が自己肯定感を生む——エリクソンと重なる実感
齋藤先生の歴史授業の根底には、「自己肯定感」の育成というテーマがあります。能力によって評価されるのではなく、「日本という国の一員である自分」を受け入れることで生まれる深い自信。これこそが、齋藤先生が授業を通して届けたい「生きる力」でした。
エリク・エリクソンのアイデンティティ論を引き合いに出しながら、齋藤先生は「共同体への所属感」こそが子どもの自我安定の源だと述べます。家族、地域、そして国家——それらへの帰属意識が、子どもにとっての“心の土台”になるというのです。
現代社会では、家庭・地域・国家という子どもたちの基盤となるべき共同体が同時に揺らいでおり、それによって「自分がどこに属しているのか」という実感を持ちにくくなっています。核家族化や都市化の進行、地域行事や地縁的なつながりの衰退といった要因が、子どもたちから地域社会とのつながりを奪いつつあるのです。
加えて、国家に対する帰属意識の低下も深刻です。国や祖国を「自分ごと」として感じられない若者が増え、たとえば「祖国のために戦えるか」という問いに対し肯定的に答える割合は、日本は欧米諸国に比べて著しく低いという調査結果もあります。欧米では愛国心や国防意識が家庭や学校で一定程度共有されているのに対し、日本では戦後教育の影響もあり、「国家を支える一員である」という当事者意識が薄れてきたと言われています。
こうした共同体とのつながりの喪失は、子どもたちの自尊心やアイデンティティの形成に深刻な影響を与えています。「自分はこの社会にとってかけがえのない存在だ」と感じるための基盤が揺らいでいるのです。その結果、自己肯定感が育たず、自信を持てないまま社会と距離を置こうとする傾向が見られるようになってきました。
今、日本人の自己肯定感の低さは国際的にも顕著であり、OECDの調査などでもしばしば指摘されています。その背景には、個としての存在価値を十分に実感できる機会が少ないという日本社会の構造的問題があります。齋藤先生の歴史授業は、まさにこの閉塞感に風穴を開ける実践です。
日本の歴史を学ぶ中で、「命のバトン」「国づくりのバトン」といった概念を通じて先人の営みに感謝し、自分の存在がその延長線上にあることに気づくこと——この気づきこそが、子どもたちに「自分はつながりの中に生きている」という実感を取り戻させ、揺らぐ自己の基盤を支える「自己肯定感」を育んでいくのです。
まさにこれこそが、齋藤先生の歴史授業の核心です。
「どちらを選んでも正解」の問いが思考を拓く
齋藤先生の授業で特徴的なのが、「政策選択発問」という問いの形式です。
たとえば「あなたが源頼朝だったら、天皇に認めてもらって武士の政府を作るか、それとも力で打ち立てるか?」といった問いを立て、子どもたちは意見を持ち、仲間と議論を重ねていきます。
この授業形式は、単なる知識の詰め込みではありません。
自分の意見を持ち、それを言葉にし、他者と対話しながら考えを深める
——そのプロセス自体が、自らの意見を持ち、社会に参画する姿勢を育てる教育になっています。
また、齋藤先生は「どちらを選んでも正解」という前提を大切にします。大切なのは、なぜその選択をしたのかを考え抜くこと。その結果、「日本を好きだからこそ意見が対立する」ことを学び、他者の立場に共感する力も育まれます。
誰でも実践できる教材設計と子どもたちの熱中
この授業が多くの教師に支持される理由の一つが、「再現性の高さ」です。齋藤先生の授業は、誰でも・どこでも・ほぼ同じように展開でき、ほぼ同じように子どもたちの反応を引き出せるよう設計されています。
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さらに、岡本裕司先生によるスライド教材の開発により、視覚的にわかりやすく、子どもたちがぐっと引き込まれる授業が可能になりました。特別な技術や準備がなくても、良質な歴史授業が実現できる——このことが、全国での普及を後押ししています。
そして何より、子どもたちが「楽しい!」と感じること。社会科が体育を押しのけて「好きな教科」になる——これは、子どもたちの内面に響く授業である何よりの証拠です。
歴史教育が生む“自分ごと”としての日本
齋藤武夫先生の歴史授業は、知識を伝えるだけではありません。日本という国に生まれた意味、自分がこの社会に生きていることの価値を、子どもたちが“自分の言葉”で語れるようになる授業です。
歴史は「他人事」ではなく、「自分ごと」。そのことに気づいた瞬間から、子どもたちは「日本のこれからを考える責任ある存在」へと成長していきます。
まさにこれは、知識教育と主権者教育を統合した、新しい社会科の地平といえるでしょう。
——だからこそ、わたしたちはこの授業の精神を、次の世代にしっかりと手渡していきたいのです。
おわりに – 日本まほろば社会科研究室より
私たち「日本まほろば社会科研究室」は、齋藤武夫先生の思想と実践に共鳴し、この国の成り立ちや先人の営みを大切に思う心を、教育を通じて育てたいと願っています。
歴史とは、過去の出来事を覚えることではなく、自らの存在とつながる“いのちの物語”をたどること。その中で、日本という共同体の一員としての誇りと責任を育むことこそ、私たちの目指す社会科教育です。
この授業を通じて、「日本が好きだ」と心から言える子どもたちが一人でも多く育ってくれることを願って、今後も教材づくりや発信を続けてまいります。
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