最近「西洋的なもの」が日本を悪くしているからこれを排そうという議論があります。ズレや違和感が生まれたとき、それを性急に敵認定して、引き算しようとするのは危ういと思っています。
本来の日本に戻りたい。これは幕末の危機や昭和10年代の危機の中で出てきた発想ととてもよく似ています。
前者の場合、神武創業に戻りたいという幻想を生み、結果的に仏教以後の漢字文明的なものを「からごころ」として廃そうとしました。その結果「廃仏毀釈」という野蛮を引き起こしました。また漢学的なものを否定し始めたことによって、かえってそこに生まれた空白を洋学的なもので塗りつぶしてしまいました。それが明治の新たな「からごころ」になっていきました。
昭和の初めの場合は、西洋近代文明を怒涛のように取り入れてきた反動でした。明治・大正の新たな「からごころ」を廃したいという情熱は、皮肉にも西洋的なもののうちのよきもの否定していきました。自由主義的なもの、立憲主義的なもの、リアリズムなどもっとも日本らしさとして生かせる中心を潰そうとしました。いまとなっては、それらは実は日本文明的なものでもあったとわかってきています。
幕末以後、わが国は「日本とは何か?」という難問にゆすぶられてきたことがわかります。そしてそのたびに「からごころ」以前に戻ろうとしてつまづいてきました。
第一次「からごころ」はシナの漢字文明です。
第二次「からごころ」は西洋近代文明です。
幕末の時は国家以前の日本らしさ(やまとごころ)に戻ろうとしました。このときの中心戦略は天皇を中心に近代国家を建設することでした。それは大いに成功して日本の独立と発展をもたらしましたが、気が付いたら日本は新たな「からごころ」である西洋文明に埋もれているように見えてきました。
昭和の危機にあって「今ある日本は本当の日本じゃないんじゃないか!」と考えたのはある意味で自然な流れでした。しかし、このときはもう日本のなかの西洋と日本を判別することはできなくなっていました。「国体の本義」はそのことをかえって浮き彫りにしています。西洋以前に戻ろうとして、自由主義や立憲制度や敵を前にした時の徹底したリアリズムのような目につく「西洋的なもの」をつぶしていきました。しかし、それは新たな日本らしさの未来のタネだったのです。
いまたしかに日本文明は新たな危機に遭遇しているようにみえます。「日本とは何か?」がわからなくなってきているからです。
「日本が好きになる!歴史全授業」がつくってきた歴史授業の考え方からは、「本来の日本とは?」「真の日本とは?」と玉ねぎの皮をむいていくように日本を見つけるという戦略はとりません。
①日本は2回国家建設をした。
②1回目はシナの漢字文明による文明開化によって。2回目は西洋近代文明による文明開化によって。
③1回目の文明開化以前は縄文文化ですが、これは国家以前(文明以前)なので現在の「日本とは何か?」という問いには対応できません。
④「縄文文化」という民族文明のベースに漢字文明が掛け算されて江戸時代の「日本文明」が完成しました。
⑤江戸時代の「日本文明」に西洋文明が掛け算されて第二次「日本文明」が形成されてきましたが、それはまだ形成の途上にあります。
このようなストーリーの下に授業とカリキュラムをつくってきましたので、「日本とは何か?」という問いに対してはこう答えるほかありません。
日本文明とは「縄文時代×シナ漢字文明×西洋近代文明」による形成途上にある文明である。日本とは何か?という問いには、現に今ある日本が本当の日本だと答えるほかはない。そういうオリジナルな文明だからだ。
本居宣長が「からごころとはそうとは見分けがつかないものだ」と言ったように、漢字文明も近代文明ももはや日本にとって他者(異物)ではなくなっているのだ。したがって今ある日本から何かを引き算をするという発想ではなく、今ある自分(日本)を絶えず省察しながら未来につながるタネを見極めることだ。それが日本文明を更新していくことになり、そうすることによって「本来の日本」になっていくのである。
今回は言うだけ聞くだけの抽象的な結論になってしまいました。学問が不足しているからです。
が、考え方の枠組みの提案としてはなにがしかの意味があったのではないでしょうか。
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