◆主催の寺尾愛子さんがご参加の皆様の言葉を文字お越ししてくださいましたので、当日の資料と一緒に、紹介します。
【当日の資料】
自己肯定感を育む歴史授業 IN姫路
中学校の授業で昭和の戦争を考える
令和7(2025)年6月14日(土)
日本が好きになる!歴史授業研究会 斎藤武夫
✉saitotakeo@jcom.home.ne.jp
0 はじめに・・・今日の授業について
1 授業「東京裁判」
2 授業「満州事変」
3 授業「日中戦争(シナ事変)」
4 授業「太平洋戦争(大東亜戦争)」
5 授業「大東亜会議」
6 終りに・・・この後の授業はどう進めるか - 1
【資料】 東京裁判
東京裁判 検察側の意見(連合国)
◆被告は有罪だ
日本は太平洋戦争において、「平和に対する罪」と「戦争犯罪」をおかしました。した
がって当時日本の指導者だった被告たちは明らかに有罪です。
【平和に対する罪】
①日本はアメリカを攻撃し、平和をやぶった
1941 年 12 月 8 日、日本海軍の航空部隊がいきなりハワイの真珠湾にあったアメリカ
海軍基地を攻撃してきました。それはここにいる被告たちの命令でひき起こされたのです。
日本が攻めてこなければこの戦争は起きていないのですから、この戦争の全責任が日本に
あることは明らかです。
当時から世界の国々はこのような侵略戦争を禁止していました。日本はこの約束に違反
して「平和に対する罪」をおかしたのです。
しかも日本から「戦争を始める」という手紙が届いたのは、真珠湾攻撃が始まった後で
した。われわれは、このようなひきょうな不意打ち攻撃を断じて許すことができません。
②日本は中国を侵略した
日本の平和に対する罪は、中国への侵略にもあてはまります。侵略とは、理由もなく一
方的によその国に攻めこんでそこを自分のものにしてしまうことです。満州事変も日中戦
争も、日本の戦争はすべて自分勝手で強盗のような戦争でした。
③日本は東南アジアにも侵略した
さらに日本は、イギリス・オランダ・アメリカの植民地だったビルマ・インドネシア・
フィリピンなど、東南アジアにまで侵略してきました。そして西洋諸国が築き上げてきた
アジアの平和をやぶったのです。それは東南アジアにおける西洋諸国の正当な権利をふみ
にじり、東南アジアを自分たちの利益のために支配しようとして行われたものなのです。
【戦争犯罪】
◆日本は戦争犯罪を犯した
日本軍はいたるところで戦争のルールをやぶり戦争犯罪をおかしました。中国や東南ア
ジアのふつうの市民を殺したり乱暴したりしたのです。なかでも南京大虐殺はひどいもの
でした。何万人もの市民が日本軍によって残虐に殺されました。これは国際社会が決めた
戦争のルールに違反した恐ろしい犯罪でした。
それ以外にも日本軍の戦争犯罪はたくさんあります。日本軍が東南アジアを占領したと
き、わが連合国の捕虜たちが日本軍によって虐待されました。フィリピンでは、大勢の市
民が殺されたり暴行されたりしました。
これらの戦争犯罪に責任のある被告たちが、有罪であることは明らかです。 - 2
世界はどのように大東亜戦争を評価しているか
■タ イ
◎ククリット・プラモード 元首相
「日本のおかげで、アジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは、難産して母
体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジア諸国民が、
アメリカやイギリスと対等に話ができるのは、一体だれのおかげであるのか。それは『身
を殺して仁をなした』日本というお母さんがあったためである。12月8日は、われわれに
この重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して重大決意された日である。さら
に8月15日は、われわれの大切なお母さんが、病の床に伏した日である。われわれはこの
2つの日を忘れてはならない。」
■マレーシア
◎ラジャー・ダト・ノンチック 元上院議員
「私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声をあげました。敗れて逃げてゆ
く英軍を見たときに、今まで感じたことのない興奮を覚えました。しかも、マレーシアを
占領した日本軍は、日本の植民地としないで、将来のそれぞれの国の独立と発展のために、
それぞれの民族の国語を普及させ、青少年の教育をおこなってくれたのです。」
◎ガザリー・シャフィー 元外務大臣
「日本はどんな悪いことをしたと言うのか。大東亜戦争で、マレー半島を南下した時の日
本軍は凄かった。わずか3カ月でシンガポールを陥落させ、我々にはとてもかなわないと
思っていたイギリスを屈服させたのだ。私はまだ若かったが、あの時は神の軍隊がやって
きたと思っていた。日本は敗れたが、英軍は再び取り返すことができず、マレーシアは独
立したのだ。」
◎ザイナル・アビディーン 歴史学者
「日本軍政は、東南アジアの中で最も政治的意識が遅れていたマレー人に、その種を播き、
成長を促進させ、マラヤにおける民族主義の台頭と発展に、大きな〝触媒″の役割を果た
した」
■インドネシア
◎モハメッド・ナチール 元首相
「アジアの希望は植民地体制の粉砕でした。大東亜戦争は、私たちアジア人の戦争を日本
が代表して敢行したものです。」
◎アラムシャ 元第三副首相
「我々インドネシア人はオランダの鉄鎖を断ち切って独立すべく、350年間に亘り、幾度
か屍山血河の闘争を試みたが、オランダの狡知なスパイ網と、強靭な武力と、苛酷な法律
によって、圧倒され壊滅されてしまった。それを日本軍が到来するや、たちまちにしてオ
ランダの鉄鎖を断ち切ってくれた。インドネシア人が歓喜雀躍し、感謝感激したのは当然
である。」
◎サンバス 元復員軍人省長官
「特にインドネシアが感謝することは、戦争が終わってから日本軍人約1000人が帰国せ- 3
ず、インドネシア国軍とともにオランダと戦い、独立に貢献してくれたことである。日本
の戦死者は国軍墓地に祀り、功績を讃えて殊勲章を贈っているが、それだけですむもので
はない。」
◎プン・トモ 元情報相
「日本軍が米・英・蘭・仏をわれわれの面前で徹底的に打ちのめしてくれた。われわれは
白人の弱体と醜態ぶりをみて、アジア人全部が自信をもち、独立は近いと知った。一度持
った自信は決して崩壊しない。…そもそも大東亜戦争はわれわれの戦争であり、われわれ
がやらねばならなかった。そして実はわれわれの力でやりたかった。」
(昭和32年の来日の際の発言)
■インド
◎ラグ・クリシュナン 大統領
「インドでは当時、イギリスの不沈戦艦を沈めるなどということは想像もできなかった。
それを我々と同じ東洋人である日本が見事に撃沈した。驚きもしたが、この快挙によって
東洋人でもやれるという気持ちが起きた。」
◎ハビプル・ラーマン 元インド国民軍大佐
(昭和44年、日本経済新聞)
「ビルマ、インドネシア、フィリピンなどの東アジア諸国の植民地支配は一掃され、次々
と独立し得たのは、日本がはぐくんだ自由への炎によるものであることを特に記さなけれ
ばならない。」
◎グラバイ・デサイ インド弁護士会々長
「インドは程なく独立する。その独立の契機を与えたのは日本である。インドの独立は日
本のお蔭で30年早まった。これはインドだけではない。インドネシア、ベトナムをはじ
め東南アジア諸民族すべて共通である。インド4億の国民は深くこれを銘記している。」
(1946年の軍事裁判に出廷した藤原岩市氏らに)
■スリランカ
◎l・R・ジャヤワルダナ 大統領
「往時、アジア諸民族の中で、日本のみが強力かつ自由であって、アジア諸民族は日本を
守護者かつ友邦として、仰ぎ見た。…当時、アジア共栄のスローガンは、従属諸民族に強
く訴えるものがあり、ビルマ、インド、インドネシアの指導者たちの中には、最愛の祖国
が解放されることを希望して、日本に協力した者がいたのである。」 (1951年、サンフ
ランシスコ対日講和会議演説)
■ミャンマー
◎バー・モウ 元首相
「歴史的に見るならば、日本ほどアジアを白人支配から離脱させることに貢献した国はな
い。しかしまたその解放を助けたり、あるいは多くの事柄に対して範を示してやったりし
た諸国民そのものから、日本ほど誤解を受けている国はない。」 「もし日本が武断的独
断と自惚れを退け、開戦当時の初一念を忘れず、大東亜宣言の精神を一貫し、商機関や鈴
木大佐らの解放の真心が軍人の間にもっと広がっていたら、いかなる軍事的敗北も、アジ
アの半分、否、過半数の人々からの信頼と感謝とを日本から奪い去ることはできなかった
であろう。日本のために惜しむのである。」(「ビルマの夜明け」
【6/14 歴史授業in姫路 】
◆6月14日 寺尾 愛子 さん主催の
「自己肯定感を育む歴史授業」
斎藤先生の講演会行ってきました。
この授業で、日本人として
学ばせていただけたと感じました。
「第二次世界大戦」もとい「大東亜戦争」
がなぜ勃発したのか?
私は、学校で表面的なことしか
それも一方的に日本が悪として
敗戦国日本としての歴史しか
教えて貰えなてなかったのだと
氣づかされました。
なぜ?
その答えが、この授業にありました。
このお話しを聞いて私は…
心の底から
「日本人で良かった…」
と思えたのです。
大東亜戦争は
西欧諸国によるアジア植民地支配を…
事実として終わらせたのです!
その代償は東京大空襲や広島の原爆など
一般市民が大虐殺されるという
余りにも大きな痛みをともなった…
それでも私は「日本人で良かった」
と、この授業を受けて
「魂が、安心した…私の心の深い処が
満たされた」
それは間違いなく、日本人としての
自己肯定感だった
大和魂…それは皆で助け合う
大調和の精神
だから… 支配したい側の人間にとって
この精神は
非常に都合が悪かったのかと…
この授業では、
当時の写真や新聞記事を元に
お話しされていたり
かなり信憑性が、高く感じました。
だからこそ、「えっ?何で??」
数字が合わない?
とか不思議なこともあり
敗戦国の歴史は…勝者に都合良く
塗り替えられるのかと納得
ですが
今、この時全ての日本人が
自己肯定感を取り戻し
大和魂に目覚めたら
大調和の369の世が実現するかもしれない…
奪い合う世界から与え合う世界へ…
そう強く思いました。
機会があれば是非
斎藤先生のお話しを聞いてみて下さい
◆以前、姫路で講演して頂いた感動を頂きたくて今回参加させて頂きました。
日本の良いところをしっかりと理解できてくると、
対立した意見の中でも根底の日本を見失うことのない議論となり、
子ども同士が対立することのない、良い学びを得られると感じました。
覚えることよりも、考える事が本当に大切です。
考える力を持った子供達が次世代を支えていきます。
そんな子ども育てができてしまう授業作りがとても素晴らしいと感じました。
ありがとうございました。
◆本日はとても貴重な授業をありがとうございました。
今、率直に「日本人で良かった。」そう思っています。
YouTubeなどでチラッと、植民地支配を終わらせた戦争だと聞いたことがありましたが、
順序だてて、教えて頂け、当時の日本人の気持ちになり考える機会を得られました。
ありがとうございました。
一一一一一
◆日本人としての魂の叫びが聞こえてくる
ようだった。祖国日本のために先人
たちが悩みながらも その時々で判断し
歩みを止めなかったんだと再確認した。
大東亜戦争について 自分自身の学び
の浅きを痛感した。
今後 さらに
考えを深めていきたい。
「メディア」「工作」が戦争に及ばす影響を感じる 今の日本は どうなのか….
一一一一
◆学校のべんきょうではしないこ
とも教えてもらえたのでよかったです。
知らないこともいっぱい知れたので
このことをこれからもいかしていきたいです。
一一一一一一一一一
◆今日は、ありがとうございました。
知らながったこにことが、教われて、
歴史を学ぶことの大事さを実感した。
インプットしたものをアウトプットすることが苦手で、
上手く表現できなくて申し訳ありません。
日本が戦争で他国の人に与えた心(想い)
はとても大きな
ものだったのだと感いました。
大東亜会議の時の写真が印象的でした。
平和、独立、人種差別をなくすことが日本の願いだったこと、
そのにのに私達のご先祖様が頑張って生きて下さったことに
感謝です。
今後も学び続けたいと思います。
今日の出会い、ご縁に感謝です。
一一一一一一一一一一一一
◆自虐史観の中で育ってきたので、
今日のお話が教えられてきたので内容があまりに違って驚きでした。
当時の日本人の葛藤や心情を知ることができて、今までは
戦争のことは考えたくないと
思っていましたが、歴史に学びたいと思うようになりました。
親子で学びたいと思います。
一一一一一一一一一一一一一一
◆今の世の中も、問題が山積しているが、
歴史を
学ぶと、当時はもっと ひどかったように思う。
歴史を学び.情報が片寄らずに共有される
ことで、世界がよくなると思う
特に日本人は、歴史を勉強し、もっと
誇りと自信をとりもどしたい。
一一一一一一一…
◆一番印象的だったことは スパイや
マスコミが国民の感情をあおって、
政治を動かしたということです。
この兵庫県では、まさに反齋藤知事の新聞
TVマスコミがおり日本全国が注目する県知事
選挙になりました。マスコミに流されない
ためには自分で、学びつづけなければ
ならないと強く思いました。
本当に、ありがとうございました。
◆最近、近代史、政治・宗教が、気になることが多くて考えさせられます。
この度の講座やネット情報のように、
教科書の歴史、テレビ新聞ラジオ等の既存メディアの内容と、食い違いが大きい。
本当の情報がもちろん大事ですが、
そのガセで洗脳されてたかと思うと、馬鹿馬鹿しく、腹立たしく思います。
世界はヨーロッパ、アメリカが牛耳ってるのですよね。
日本人の我々や、子供達にとって、より幸せになる選択をしていきたいな、と思いました。
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