「皇国史観」と「日本が好きになる!歴史授業」7(授業づくりのなかで 3)



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縄文と弥生はまあ仕方がないとしても、「古墳時代」というのはどうなんだろう。古墳時代を箸墓古墳から始めるけれど、その前にも円墳・方墳その他の多様な古墳の時代があった。弥生の墳丘墓はどうなのか? 始まりだけじゃない。飛鳥時代だってまだ古墳の時代です。天武・持統は八角形墳に葬られた。だから古墳だけを問題にして、この時代を「古墳時代」というなら、「飛鳥時代」もそのなかに含まれたがっているでしょう。

何よりもここを時代としてで区分するのは、前方後円墳があったから(だけ)ではない。日本が天皇の国として統一された時代だからです。つまり大和朝廷の時代です。今に続く「天皇の国・日本」の始まりです。

というわけで、シン皇国史観としては「古墳時代」ではなく「大和時代」を復活したいわけです。前回ズバリ書けなかったので書きました。山口さんありがとう!

飛鳥時代①聖徳太子の授業「仏教伝来」

飛鳥時代は推古天皇(とよみけかしきやひめのみこと)に始まります。天皇(大王)の宮が伝統の三輪山のあたりから引っ越して、三輪山が全然見えない飛鳥に入りました。これは最近知ったことですが「信仰の転換」があったのではないかということです。仏教への志向ですね。もちろん主たる理由は飛鳥が蘇我氏の領域だったからです。仏教導入はその結果でした。いずれにしても飛鳥からは三輪山が見えない!というのは重要な事実です。

飛鳥時代問題は隋王朝の成立と仏教公伝に始まります。授業も推古以前から始めました。仏教公伝とその日本的な解決を聖徳太子の政策として取り上げた授業です。

それは聖徳太子が生まれる前で、聖明王・欽明天皇・蘇我稲目・物部尾輿が登場人物です。「仏教か?日本の神様か?」という論争を仕組むために、日本書紀の記述を大幅に膨らませて推論に基づく資料を作りました。そのなかに次の一節を盛り込みました。


仏教派の主張④仏教は人の生き方を教え、国を大きく発展させます
仏様の教えはお経に文で書かれています。良いことと悪いことの区別がはっきりしめされ、人としての正しい生き方を教えてくれます。仏教のありがたい教えを大王(天皇)が守っていけば、人々が大王を尊敬する気持ちも深まり、大王にすすんで従うようになるでしょう。仏教こそ、人の生き方を教え、大王のもとに人々がまとまり、国を大きく発展させてくれ
る大切な教えなのです。

日本の神々派の主張④わが国の神様を信じて、せっかく一つにまとまった国を守るべきです
私たち全国の豪族が大和朝廷の大王を中心に一つの国にまとまったのは、わが国の神様が大王(天皇)のご先祖につながっているからです。もしこの神様を捨ててしまえば、国のリーダーは大王とその子孫でなくてもいいことになってしまいます。そうなったらもう大王も豪族も区別がありません。また昔のように、力の強いものが「私が大王になる」と言い出して戦争になり、せっかく一つにまとまったこの国がまたバラバラになってしまうでしょう。そうなってはもう、国の進歩も発展もありません。


これが「日本が好きになる!歴史全授業」で皇国史観的な歴史の見方が子供に与えられる最初になります。

もちろんこれは歴史上の史料ではありません。日本書紀の記述をもとにそこから発想した授業用の資料です(詳細はテキストをご覧ください)。

当時も今もこういう創作された資料を使うのは駄目だというまっとうな批判があります。歴史授業では歴史学の研究で実証された「史料」だけを使うべきだという批判です。当然ありうる立場だと思います。また、これまでも近現代史などでは、いいかげんな創作史料を使い続けてきたダブルスタンダードもありますが、そのことは置いておきます。批判者の観点は、子供には「歴史学」を薄めて与えるのが正しい・科学的だという考え方に見えます。

「日本が好きになる!歴史授業」では、歴史教育とは歴史学を子供たちに与えることではないと考えています。歴史学者のタマゴを育てるのではなく、「日本国民を育てる」のが歴史授業だという考えです。細切れの知識ではなく、日本人の大きな物語を学ぶことが重要です。そうでなければ、歴史教育の目標の「子供たちが日本人としてのアイデンティティー・誇りを身につけること」は実現できないからです。

そのためには、子供たちが日本という大きな物語を組み立てていく手がかりを与える必要があります。そのための手がかりをカリキュラムに埋め込んでいくわけです。「大和朝廷の日本統一」や神話の「神武建国」もその一つですが、ここでいう「考え方の資料」は、先人がどんな考えで日本の国づくりを選択してきたのかという、思考や迷いや苦悩や決断を子供たちが理解し、自分なりの考えをつくる手掛かりになります。

たしかに「物語」は検証された史実や合理的な思考や当時ありえたであろう多様な視点で検討される必要があります。そうでないと精神性やオカルトのほうに引っ張られて硬直したものになる可能性があるからです。また、そうでないと、子供たちは歴史から学ぶのではなく、教師の考え(物語)を学ぶ・受け取る学習になってしまいます。

そこで「日本が好きになる!歴史授業」では「自分がその時のリーダーだったらどうするか?」を考える学習を設定しています。国のリーダーたちがどのようにして未来を選択したか? どんな選択肢がありえたか? 選択の理由は何だったか? という場面に子供たちを立ち会わせ、考え、選択し、議論するという学習です。こうすることによって教師が持っている「物語」を子供たちに「コピーする」という教育観から自由になれます。また、現在の価値観や常識で先人を裁くという傲慢からも自由になれるのです。

前に取り上げた「資料」は、この学習場面で子供たちの思考と議論を活性化するための手段(情報)にあたります。どんな情報があれば12歳から14歳の子供たちが当時の歴史人物の立場に立って考えることができるのか。それをシミュレーションして創造するのがここでいう「資料」になります。

仏教と日本の神々論争と聖徳太子の決断は、まさにその後の日本が通史的に経験し続けることのになる文明的な課題の原型になりました。「チャイナ漢字文明 VS 縄文以来の伝統文化」と「西洋近代文明 VS 江戸時代までの日本文明」「グローバル文明 VS 現代日本」とい運命的な課題の原型がこの仏教公伝問題にあったといえるでしょう。

上に引用した資料は「日本の通史的な運命を予言した原型的な論争」を子供たちが熱く体験できるとしたらどんな情報が必要か?を考えて工夫した資料なのです。そして授業はおおむね成功しています(追試した先生方も)。

まだ子供たちのほんの一部ですが「天皇」とはそういうことだったのか!という最初の気づき至ります。しかし、まだカリキュラムは始まったばかりです。

子供たちの多くはまだこの「理由④」の深い意味には気づけません。授業を重ねるにしたがって、少しずつ少しずつ子供たちは「天皇の国・日本」に近づいていきます。日本の歴史がそうなっているからです。

子供たちの学習条件は多様です。教師が「A」と話せば子供たち皆が「A」を手に入れるわけではありません。まして歴史では教師が「A」というわけではありません。授業を繰り返す中で、史実と、資料と、それによる思考と、複数の選択と、議論を通して、やがて40名の子供たち全員が「天皇の国日本」を手に入れるようになります。ゆっくり気づく子たちでも、明治の国づくりには全員達成しています。日本の歴史がそうなっているからです。

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この記事を書いた人

昭和24年、埼玉県生まれ。昭和59年、大宮市の小学校教員に採用される。大宮教育サークルを設立し、『授業づくりネットワーク』創刊に参画。冷戦崩壊後、義務教育の教育内容に強い疑問を抱き、平成7年自由主義史観研究会(藤岡信勝代表)の創立に参画。以後、20余年間小中学校の教員として、「日本が好きになる歴史授業」を実践研究してきた。
現在は授業づくり JAPAN さいたま代表として、ブログや SNS で運動を進め、各地で、またオンラインで「日本が好きになる!歴史授業講座」を開催している。
著書に『新装版 学校で学びたい歴史』(青林堂)『授業づくりJAPANの日本が好きになる!歴史全授業』(私家版) 他、共著に「教科書が教えない歴史」(産経新聞社) 他がある。

【ブログ】
齋藤武夫の日本が好きになる!歴史全授業
https://www.saitotakeo.com/

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